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『なぜ、人は夜のあかりに安心するの?』

建物の明かり

帰り道、夜のあかりに救われる日もありません?



仕事でやられた日、気分が沈んでいる日、

ただただ、何もかもうまくいかない日。

そういう夜に限って、なぜか帰り道の風が冷たい。


スマホの画面を見ていても心が戻らないとき、

ふと顔を上げると、アパートの窓からこぼれる電気の灯り。

カーテンの隙間から、あたたかそうな色がじんわりもれていて、

「誰かがそこにいる」ってだけで、なぜかちょっとホッとする。


人の暮らしをのぞくつもりなんて、まったくない。

けれど、ほんのり灯るあかりに、勝手に想像してしまう。

この時間に帰宅するってことは…ごはんは外かな?

もうお風呂入ってる?それとも、これから?

リモコン投げて、ソファでぐでぇっとしてるかも。


まったく知らない誰かの生活に、勝手に入り込む。

知らないのに知ってる気がして、寂しさがちょっとまぎれる。

電球の色ひとつで、心がほぐれる夜ってあるんです。


思い返してみれば、小さい頃もそうだった。

夜の帰り道、まだ遠くに見える家の灯りが、

“ああ、あそこがわたしの帰る場所だ”って教えてくれてた。

灯りは、道しるべにも、心のよりどころにもなるのかもしれません。


それにしても、なんでこんなに、夜のあかりって安心するんでしょうね。







第1章|夜の「小さな灯り」がくれる、あたたかい孤独



部屋にひとり。

なんとなく気分が落ち込んでいて、何もしたくない夜ってありますよね。

SNSを見る元気もなくて、スマホも放り投げて、ただただ天井を見つめてる。何かしなくちゃ、と思うのに、何もできない夜。誰にも連絡したくないし、連絡も来てほしくない。なのに、誰かに優しくされたい。


──そんな夜、電気を全部消して、間接照明だけをつけたことがある人は私だけではないはず笑

あのオレンジっぽい、ぽぅっとした灯り。豆電球でも、スタンドライトでも、キャンドルでもいいんです。

なんか……落ち着くんですよね。

なぜか泣けるときもあるし、なぜかちょっと安心して「このままでもいいかな」って気持ちになれる。


この章では、そんな「夜の小さな灯り」が、なぜあんなにも心にしみるのか。

わたしたちが、無意識に灯りを頼っている理由について、ゆっくり掘っていきたいと思います。




オレンジ色の安心感はどこから来る?



部屋の明かりを全部つけていると、なんだか部屋が「活動する場所」になりますよね。

掃除、洗濯、仕事、勉強、連絡……やらなきゃいけないことが、どんどん目につく。

一方で、間接照明や豆電球のような“点”の灯りだけにすると、部屋の雰囲気が一変します。


ゆるむ。

なぜか無性に、ゆるむんです。


特に、あのオレンジ系の「暖色系の光」は、昼の太陽と違って、夕暮れやたき火、古い裸電球のような「静かな時間」を思い出させます。

人間の体は、青白い光を浴びると交感神経が優位に、暖かい光を浴びると副交感神経が優位になる傾向があるのだとか。

──って言うと、急に健康情報番組みたいになりますが、実際、オレンジの灯りを見ると「はぁ〜……」って深呼吸したくなるのは事実ですよね。


だからこそ、「あ、今日はもう何もしなくていいや」と思った夜に、わざわざメインの照明を消して、小さな灯りだけをつける行動は、無意識の“休戦”宣言なのかもしれません。




なぜ「小さな灯り」なのか?



部屋全体を照らす大きな光ではなく、「小さな灯り」だけで過ごすのって、ちょっと不便なんですよね。

文字も見えづらいし、部屋の隅っこで何かを落としたら見つからない。


でも、その“不便さ”が、逆にちょうどいい。

「もう今日は何もできないし、探さなくていいし、誰も見なくていいし、見つけなくていい」──そんな心の声が、照度の低い空間にぴったりフィットするんです。


小さな灯りの光は、空間の一部しか照らさないから、逆にその場所に“心を集中”させてくれます。

たとえば、ベッドサイドのスタンドライトがついていると、もうその周りの30cmくらいの空間だけが“世界”になる。

「この範囲にいる限りは、安全だし、外界とつながらなくてもいい」っていう、勝手な結界が張られる気がします。




自分の部屋が「小屋」になる夜



キャンプって、なぜか癒されますよね。

特に、夜。

焚き火を囲んで、テントの中にこもって、ぬくぬくしているだけで満足できる。


あれに近い感覚が、部屋の灯りを絞った時にやってくるのだと思います。

四方八方が真っ暗で、狭い空間にだけ灯りがあって。そこで飲むインスタントのコーヒーが妙においしかったりする。


まるで、部屋全体が“秘密基地”になるような感覚。

しかも、自分のためだけの基地。誰にも見つからない、自分だけの避難所。


「誰にも連絡したくないし、誰からも連絡きてほしくない」という、あのひねくれた孤独感を、灯りが「うんうん、それでいいよ」と受け止めてくれる。

あたたかい孤独。灯りにだけ許された、やさしい距離感。




自虐で笑える「灯りの夜」あるある



とはいえ、「夜に小さな灯りだけつけて自分の世界に入る」って……ちょっと中二病っぽいと言われたこともあります(笑)。


・あえてスタンドライトだけで過ごしてる自分に酔って、写真を撮ってみたけど、あとで見たら「ただの物干しハンガーと洗濯物」しか写ってなかった。

・豆電球で小説を読もうとして5分で目が限界。

・「癒される〜」と思って間接照明つけたけど、部屋が汚すぎてライトアップされて逆に絶望。


……そんなこともあります。

でも、それでいいんですよ。

「がんばる自分」を見せるための灯りじゃなくて、「もう今日はここでいいや」と投げ出せる、甘えの象徴。


灯りの美しさにすら気づけないほど疲れているとき、あの“ちいさな光”だけが、かろうじて自分を肯定してくれる気がします。

「よくやってるよ」って。




灯りの色を、気分で変えてもいい



ちなみに最近は、LEDライトの色を自由に調整できる時代。

白っぽい光、青っぽい光、オレンジ系の光など、ボタンひとつで切り替えられるんです。

とくに「電球色」と呼ばれる暖色系の光は、夕暮れや火を連想させる色合いで、リラックス効果が高いとされます。


でも、それにこだわらなくてもいいんです。

寒色系の白い光をあえて選んで、「無機質な部屋感」を楽しむのもひとつの手。

自分が“好き”と思える光なら、なんだっていい。正解はありません。




「灯り」って、もしかして味方なのかもしれない



夜の灯りに心がほっとするのは、当たり前のようで、実はとても奥深いことなのかもしれません。

昼の光が「動くための光」なら、夜の光は「休むための光」。


なにも生産性がなくてもいいし、誰かとつながっていなくてもいい。

「ひとりで、今日もここにいる」という、ただそれだけを包んでくれる小さな存在。


自分で自分を責めそうな夜も、感情が行き場をなくした夜も、まずはひとつ、部屋の灯りを小さくしてみる。

それだけで、世界が少し静かになって、自分が少し許せる気がしてくるから不思議です。







第2章|夜道とコンビニと、電球色のやさしさ




「帰り道がちょっとだけ好きになる理由」



夜道は、なんだかんだで少し怖い。

でも、それと同じくらい、ちょっと安心したり、妙に落ち着いたりもする。

なんなら、昼間よりホッとすることもあるんです。

この感覚、わかってもらえますか?


帰り道の風景って、朝や昼と違って、どこか人に気をつかわなくていいような、ちょっとだけ許されてる感じがする。

誰にも見られていない気がする。正確には「見られても気にならない」っていうほうが近いかもしれません。

コンビニの袋をぶらさげながら、髪ボサボサ、部屋着のままでも歩けてしまう。

メイクなんてとっくに崩れてる。

靴も「いちばん履き慣れてるやつ」で出てきた。

それでも大丈夫な世界、それが「夜道」なんです。


これが昼間だったら、すれ違う誰かの視線や、近所のおばさんのひと言にビクッとしてたかもしれない。

だけど、夜って不思議と、そういうのがない。

むしろ、ちょっとした無法地帯感すらある。

だけど、無法すぎない。そこには、ぽつんと光る「電球色」があるから。


 



「外灯の明るさが、気持ちのリズムを整えてくれる」



外灯の下を歩くとき、人はみんなちょっと“まっすぐ”になる。

猫背だった背筋がスッと伸びたり、スマホの画面から顔を上げて歩き出したり。

街灯の光って、言ってしまえばただの電気なんだけど、不思議と「整える作用」がある気がするんです。


人によっては、外灯を「孤独感の象徴」みたいに感じることもあるかもしれない。

でも、わたしはむしろ、あのやさしいオレンジ色の明かりが、夜の世界を“裏切らないトーン”で守ってくれてるような気がする。


自販機の明かり、コンビニの看板、マンションのベランダに灯るひとつの豆電球。

全部がなんとなく「生きてていいよ」と言ってくれてるような。

それが、夜の街のすてきなところだと思うんです。


 



「24時間営業のコンビニ、なぜか頼りたくなる夜」



たとえば22時を過ぎて、仕事も終わって、疲れ果てて、

何も作る気が起きないまま、冷蔵庫を開けたら、見事に空。

冷たい麦茶と、なぜか賞味期限ギリギリのヨーグルトだけ。


そんな時、コンビニがあるじゃないかと思い出す。

しかも24時間、どんなときも開いてくれてる。

これって、めちゃくちゃありがたいことです。


夜のコンビニには、ちょっとした“信頼感”がある。

昼間のコンビニでは気づかないような「存在そのもののありがたさ」に気づいてしまう。

しかも、店員さんがやさしかったりする。


レジで「お箸つけますか?」って聞かれたとき、なぜかちょっと泣きそうになる。

「はい……お願いします……」って、妙に小さな声で答える。

あの瞬間、自分が“人として扱われてる”ことに安心する。


大げさだと思いますか?

でも、夜のひとりきりのコンビニって、それくらいの安心をくれる場所なんです。

しかも、同じようにヘトヘトな顔をした人が隣でアイスを選んでいたりして、「わたしだけじゃない」って救われる。


 



「“なんとなく選んだ”ものたちが、救ってくれる夜」



深夜のコンビニって、選択が雑になる。

冷静な判断ができないというか、「これが今ほしい気がする」だけで物を選ぶようになる。

そして、意外とそれが正解だったりするんです。


カップ麺、肉まん、牛乳プリン、たまごサンド。

冷静に考えたら栄養バランスもなにもないけど、今のわたしを救ってくれるのはそれしかない。

“自分のためだけに選べる”って、地味にすごい自由です。


そして、食べながら思う。「今日もなんとか生きたな……」って。

この“しみじみした自己完結感”、夜だからこそ味わえる。

昼間にサラダ食べながらじゃ、たぶんこうは思わない。


こういうささやかなご褒美があるから、夜を頑張れるのかもしれません。

何もないように見えて、ちゃんと夜は人を受け入れてくれる設計になっている。

電球色の光に照らされながら、誰にも怒られず、責められず、ただ「おつかれさま」と言ってもらえる夜。


 



「夜の風景には、誰かの生活がちゃんと見える」



夜って、音が少ない。だから、小さな気配に気づきやすい。

たとえば、アパートの2階からこぼれるテレビの音。

階段の踊り場で電話をしている人の笑い声。

自転車のライトが、急に視界を横切る。


そんな些細なことにも、「ああ、誰かが今日も生活してる」と感じることができる。

それだけで、自分の今日の生活も肯定されたような気がしてくる。


ベランダで洗濯物を取り込む人。

カーテン越しに見える、だれかのシルエット。

それぞれの夜、それぞれの人生。


街が静かになるほど、人の存在がふっと浮かび上がるように見えてくる。

昼間には感じられなかった人のぬくもりや距離感が、夜にはちゃんと“見える”。


夜って、冷たいだけじゃない。

むしろ、昼よりもあたたかいものが見える時間帯なのかもしれません。


 



「光のある場所を、思い出す夜」



人は、「光」を見て安心する生き物なんだと、夜になると思い出します。

特にそれが“電球色”だと、もう反射的にホッとしてしまう。


たとえば、部屋の豆電球。

つけっぱなしの間接照明。

誰かの窓からこぼれてくるオレンジ色の明かり。


それらを目にしただけで、「ああ、今日もちゃんと夜だな」と感じる。

そして「もうちょっとだけ頑張ろうかな」と思える。


夜が暗いだけじゃなくてよかった。

全体が真っ黒だったら、こんなに気持ちの落ち着く夜にはならなかったと思う。


ぽつんと光る場所があるから、そこに帰れるし、心も落ち着く。

それがたとえ他人の家の明かりだったとしても、「誰かがいる」っていう情報が、救いになることがある。


わたしにとって、夜のやさしさとは「誰かがそこにいる感じ」かもしれません。




第3章|光の色で変わる“心の体感温度”




電球の色を変えたら、人生がやわらかくなった話



ある日、電球を替えた。

それだけのはずだったのに、部屋の空気まで変わってしまった。

…というのはちょっと言い過ぎだけれど、それくらいの驚きはあった。


それまで使っていたのは「昼白色」。

仕事モードにもぴったりの、くっきり明るい白い光。

でも、夜になるとどうも落ち着かない。

ふと、買い物のついでに「電球色」にしてみたら──


部屋が一気に「くつろぎのバー」みたいなムードになった。

まぶしくない。寒くない。なんなら、お酒でも出てきそう。

なんというか、人生に“やさしさのフィルター”がかかったような感じ。

同じ部屋、同じ家具、同じ壁紙なのに、光の色が変わっただけで、こうも印象が違うのかと衝撃だった。


思えば、夜になると頭だけが覚醒してしまって、なんとなくSNSを見続けたり、つい冷蔵庫を開けたりしていたのも、

もしかすると“光のせい”だったのかもしれない。


そんなわけで──

今回のテーマは、「光の色」と「心の体感温度」の関係。

リラックスに効く“色温度のマジック”を、日常あるあるとともに掘り下げていきます。




光には「色温度」がある


まず「色温度(いろおんど)」という言葉。

これは、光が持つ“色み”を表す温度のことで、K(ケルビン)という単位で表されます。

ざっくり言うと、数値が低いほど赤っぽく、数値が高いほど青っぽくなる。


  • 電球色(あたたかみのあるオレンジ)…2700K前後

  • 昼白色(ナチュラルな白)…5000K前後

  • 昼光色(青白い光)…6500K前後



この温度、実際の“あたたかさ”とは関係がないけれど、人の心には確実に作用している。


実験でも証明されているけれど、

青白い光は集中力を高める一方で、交感神経が刺激されて、心も体も“シャキッと”してしまう。

逆に、電球色のようなあたたかい色は、副交感神経を優位にしてくれて、気持ちがゆるんでいく。


つまり、「電気の色を変える」だけで、脳と心に“くつろぎスイッチ”が入るということ。




どんな色の光で過ごしてる? 自分の部屋、観察してみよう



ところで、あなたの部屋の照明はどんな色をしていますか?


・引っ越してから一度も電球を変えていない人

・家中すべて同じ種類のLEDを使っている人

・明るさは気にするけど、色なんて気にしたことがない人


……けっこう多いかもしれません。わたしも昔そうでした。


たとえば、賃貸物件でよくあるのが「昼光色」。

天井にどーんとついてるシーリングライト。とにかく明るい。

でもこの光、寝室にはちょっと強すぎるんですよね。

なんか気持ちが休まらない。夜なのに、ずっと昼みたい。

「そろそろ寝ようかな…」という雰囲気にならない。


いっぽう、オレンジ色の光はどうでしょう。


間接照明にしてみたり、ベッドサイドにスタンドを置いてみたり──

それだけで、まるで別世界にいるような気持ちになれる。

カフェっぽい。ホテルみたい。

落ち着きがあって、気分がゆっくりと沈んでいく。

この“沈む”という感覚が、実は大事だったりするんです。




青白い光で脳が“昼のまま”になる問題



スマホも、パソコンも、LED照明も。

私たちの生活には「昼光色(6500K前後)」が溢れています。


だから夜になっても、脳が「昼モード」から切り替わらない。

ブルーライトでメラトニン(眠りのホルモン)も出にくくなる。

結果、眠くならない→夜ふかし→寝不足→ストレス増、という悪循環。


“夜なのに、ずっとまぶしい”という状況って、実はとても不自然。

夜は自然に“暗く、あたたかく”なっていくのが本来のリズムなんです。


試しに、夜の電球を電球色にしてみる。

そして、スマホのナイトモード(画面がオレンジがかるやつ)をONにしてみる。

それだけで、脳がスッ…と「夜だ」と認識するようになります。


ちなみに、夕焼けや焚き火を見ていると癒されるのも、

あの「赤み」が副交感神経を刺激してくれるからなんだそう。




暖色は“人の距離”を近づける



光の色が、人と人との距離感まで変えてしまうこともあります。


たとえば、寒々しい会議室の蛍光灯の下では、

みんな無意識に表情がこわばってしまう。


でも、電球色のカフェに入ると、不思議と笑顔になれる。

なんなら初対面の人とでも、少しだけ親しみやすくなる。

あれって、気のせいじゃないんです。


あたたかい色の光は、心理的な“緊張の膜”をゆるめてくれる。


リラクゼーションサロンでも、照明にこだわるお店が増えてきました。

肌の色が自然に見えることはもちろん、

「なんか、安心できるな…」と思わせる空間づくりには、“光のあたたかさ”が欠かせないんです。




笑えるくらい、光の色で気分が変わる日常



ちょっと恥ずかしい話ですが──


照明を変えてから、うちの部屋で起こった変化を正直に告白します。


・カーテンを閉めたあと、ぼーっとしている時間が増えた

・夜に食べるインスタント味噌汁がやたら美味しく感じる

・音楽がなんとなく“良く”聴こえる

・エアコンの設定温度を1℃下げても寒くない気がする

・鏡に映る自分の顔がやわらかく見える(気のせい?)

・夜のスマホ時間が短くなった(気がつくと眠くなる)


……こうやって書くと、照明業界の回し者みたいですが、

本当に「たかが光、されど光」。


“やさしい色の光”は、想像以上に人を癒してくれます。




リラックスしたいなら、「色温度」を味方に



夜に気持ちを切り替えたいなら、

「光の色を変える」というのは、すぐできる方法のひとつです。


どんなインテリアでも、どんな部屋でも。

光の色が変われば、空気の感じも、人の気分も変わる。


もちろん、オレンジ系が苦手な人もいると思うので、

無理にすべてを変える必要はありません。


でも、せめて「夜だけでも、あたたかい光に包まれる時間」を持てると、

それだけで気持ちのリズムが整ってくるかもしれません。


コンビニで売っている電球ひとつ。

1000円ちょっとの間接照明。

スマホの設定画面にあるナイトモード。


ほんの小さなことで、「心の体感温度」は上がるのです。




あたたかい光は、見えないセラピスト



わたしたちは、目に見えない“光の処方箋”に毎日包まれている。


それが時にストレスになり、

時に癒しになる。


そして、その違いは「光の色」ひとつで決まることがある。


疲れた時、落ち込んだ夜、なんだか寂しい日曜日──

そっと照明の色を変えてみてください。


まるで、自分の気持ちに寄り添ってくれる“光のセラピスト”がそこにいるような、

そんな気分になれるかもしれません。




第4章|“灯るもの”があるだけで、夜は不安じゃなくなる




小さな明かりが、気持ちの「境界線」になる



真っ暗な部屋って、どうしてあんなに心細いんでしょうか。

寝る直前までスマホを見ていたはずなのに、電源を切った瞬間の静けさが、急に胸に押し寄せてきて、どこからか不安が忍び寄ってくる。そんな夜、ありませんか?


だからかもしれませんが、私は「豆電球」みたいな存在が、どうにも好きなのです。

ほんのり灯るオレンジの光。寝室の角に置いた間接照明。ガラス瓶の中に入れた小さなLEDライト。そういうものがあるだけで、部屋の空気がまろやかになるというか、「夜が優しくなる」ような気がするのです。


日中には何とも思わなかった物音が、夜にはなぜか怖くなる。

日中には当たり前に感じていた自分の存在が、夜にはふと、心細くなる。

そんなとき、豆電球のような“ささやかな灯り”が、「ここから先は不安にならなくて大丈夫だよ」と言ってくれているような気がするのです。


光は、私たちの心にとっての“境界線”なのかもしれませんね。

ここまでが安全圏、ここからは眠っていい場所。

その境界をほんのり照らしてくれるものがあるだけで、夜の不安はずいぶん小さくなる気がするのです。



火のある場所は、人が集まる



もっと原始的な感覚を思い出すと、「火」という存在の力にも気づかされます。

焚き火、ろうそく、暖炉──。

パチパチと音を立てて揺れる炎は、どこか懐かしくて、無条件に安心できる光です。


人間は、火を囲む文化を持っています。

焚き火の周りには、自然と人が集まります。

炎は誰のものでもなく、ただそこに在るだけなのに、みんなが輪になって座ってしまう。

不思議ですよね。


キャンプファイヤーの夜、囲んだ火の前では、急に本音が言えたり、

静かなろうそくの光の中では、ふだんは気づかなかったことに心が向いたりする。

火は、言葉を少し減らしても、ちゃんと心を通わせてくれる光です。


それはきっと、光がただ「明るい」だけじゃないから。

温かさを持っているから。

そして、「消えるかもしれない」という儚さを感じるからかもしれません。


夜の暗闇に、静かに揺れる火の明かり。

そのそばにいるだけで、人は安心し、そして少しだけ、優しくなれるのかもしれませんね。



コンビニの明かりが、やさしく感じる日もある



都会の夜を歩いていると、ときどき“光”のありがたみを感じる瞬間があります。

それは、深夜にふらっと入ったコンビニ。

外から見える明るい店内が、なぜだかとても安心できるように見えること、ありませんか?


家に帰る途中、なんとなく寂しさを感じて歩いていたら、

コンビニの明かりがまるで「灯台」のように思えて。

その中に入った瞬間、よく冷えた空気と共に、日常の安心感がふわっと戻ってくる。


何を買うでもなく、ちょっと雑誌をめくってみたり、

ペットボトルの棚をぐるっと回ってみたり。

それだけで、気持ちが少し整って、「ああ、もう少しだけ頑張れるかもしれない」なんて思ったりします。


コンビニの明かりって、ただ照らしているだけのようでいて、

人の孤独や不安を、ほんの少しだけ軽くしているのかもしれません。


それはたぶん、「24時間営業」の看板に宿る“いつでも受け入れてくれる安心感”と、

中にいる店員さんの「誰かがいる」という気配が、

「ひとりじゃない」という実感を与えてくれるからかもしれません。


夜のコンビニは、現代の“焚き火”なのかもしれませんね。



照明の色が、感情を変えることがある



「部屋の明かり、ちょっと変えてみようかな」

そう思ったことがある方も多いかもしれません。

実は、照明の色って、私たちの感情に影響を与えているそうです。


たとえば、オレンジ系の電球色は、副交感神経を優位にしてリラックスを促すと言われています。

一方で、白や青っぽい色味は、集中力や緊張感を高める効果があるとか。


オフィスや病院が「昼白色」と呼ばれる白っぽい光を使っているのは、

無意識に気を引き締める効果を狙っているからなのだそうです。


逆に、リラックスしたい夜の時間に、

蛍光灯のまぶしい白い光の中にいると、なんとなく疲れてしまったり、

心が落ち着かないまま眠れなかったりするのも、あながち気のせいではないんですね。


私の知人は、ある時期、眠れない日が続いたときに、

寝室の照明を「電球色の間接照明」だけにしてみたそうです。

すると、夜になると自然とまぶたが重くなって、

眠りに入るのが少しずつラクになったのだとか。


灯りの色を変えるだけで、心のコンディションが変わることがある。

それだけで、「夜はつらい」と思っていた感覚が、「夜はゆるむ時間」に変わっていく。

そう考えると、照明って意外と“心のスイッチ”だったりするのかもしれませんね。



「ひとりの夜」に必要なのは、完璧な光じゃない



夜に安心をくれるものって、「強い光」じゃなくて「やさしい光」なんですよね。

誰もいないリビングを照らすスタンドライトの灯り。

枕元に置いた小さなライト。

浴室のすみでほんのり灯るキャンドル。

そのどれもが、完璧な明るさではないけれど、心を落ち着かせてくれます。


暗闇を完全に消す必要はなくて、

ただ、「ここに光がある」と思えるだけで、人の気持ちはこんなにも違うんだなと、つくづく思います。


ひとり暮らしの部屋でも、

実家のようなぬくもりを感じさせてくれる灯りがあるだけで、

その空間は「守られている場所」になる。


夜は、不安な気持ちが出やすい時間です。

でも、そこに“灯るもの”がひとつあるだけで、不安は輪郭を失っていく。

言葉にならない心細さが、じんわりと溶けていく。


きっとそれは、「光=安心」の記憶が、

私たちの心に深く刻まれているからなのかもしれません。





まとめ|灯りは、今日を「おつかれさま」と包んでくれる



家の灯りがともるとき、「ああ、帰ってきたな」と、肩の力がふっと抜けるような感覚があるのは、きっと多くの人にとって“当たり前”の安心なのかもしれませんね。


夜の灯りは、ただ照らしてくれるだけではなく、「もう頑張らなくていいよ」と語りかけてくれる存在です。小さな電球ひとつ、ガラス窓の奥ににじむ明かり、コンビニの光、街灯のオレンジ。どれもみんな、あの優しい光景をつくっています。


私たちは知らず知らずのうちに、「灯りがあるから安心できる」夜を、何千日も繰り返してきたのかもしれません。そして、そんな風に“灯りに守られている”ことを意識する時間は、きっとそう多くはないのです。


けれど、静かな夜道でふと見上げたベランダの明かり。カーテン越しに漏れるリビングのやわらかい光。枕元に置いた小さなランプの灯り。そんな「当たり前のようで、愛おしい」風景が、私たちの暮らしをゆるめ、癒してくれているのかもしれませんね。


灯りは、暗さを消すものではありません。むしろ、「暗さの中にある心地よさ」を教えてくれるものかもしれません。ほっと息をつける空間、考えごとをしてもいい余白、泣いた顔を隠せる静けさ。それらを抱きしめながら、灯りはそっと寄り添ってくれているのです。


夜の安心感は、きっと“灯りのある時間”とともに育まれてきたもの。そう考えると、眠る前に灯りを見つめる時間も、もっと大事にできそうですね。


今日の灯りが、あなたの心をやさしく包んでくれますように。


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