息抜き上手になるための脱力練習
- 京都ほぐし堂WEB

- 2 日前
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「力を抜いてくださいね」
そう言われたとき、すぐにふっとゆるめる人もいれば、少し困ってしまう人もいます。
抜こうとはしているんです。
でも、どこに力が入っているのかが、よくわからない。
とりあえず肩を下げてみる。深呼吸もしてみる。首も少し回してみる。
けれど、なんだかしっくりこない。
それどころか、「これで合っているのかな」と考えはじめて、ますます力が入ってしまう。そんなこともあるように思います。
力を抜く。
言葉にすると、とても簡単です。
でも実際には、これが意外とむずかしいんですよね。
がんばり方は、これまでの暮らしの中で自然と覚えてきた人が多いのかもしれません。
ちゃんとすること。
急ぐこと。
失敗しないように気をつけること。
周りに気をつかうこと。
空気を読むこと。
抜かりなく進めること。
けれど、“ゆるめ方”はどうでしょう。
休み方。
気を張らない時間のつくり方。
考えすぎを止めること。
安心してぼんやりすること。
何もしない時間に、罪悪感を持たないこと。
こういうことは、案外きちんと教わらないまま、大人になるものです。
だから、「力を抜くのが苦手です」という人がいても、まったく不思議ではありません。
むしろ、それはとても自然なことなのかもしれません。
それなのに、疲れているときほど、人はよくこう言われます。
「もっと力を抜いて」
たしかにやさしい言葉です。
でも、ずっと気を張ってきた人にとっては、少しだけ難しい言葉でもあります。
泳げない人に「水に浮いてください」と言うような感じに近いのかもしれません。
浮きたい気持ちはある。
沈みたくない気持ちもある。
でも、どうすれば体の力が抜けるのか、その感覚がうまくつかめない。
そんなふうに感じることもあると思うのです。
そもそも、力が入ってしまうこと自体は、悪いことばかりではありません。
まじめだから、ちゃんとしようとする。
やさしいから、周りに気をつかう。
責任感があるから、気を抜けない。
失敗したくないから、無意識に身構える。
傷つきたくないから、少し踏ん張る。
つまり、力みの背景には、その人なりの一生懸命さがあることが多いんです。
だからこそ、外から「そんなに気にしなくていいのに」と言われても、すぐには変われません。
気にしないで済むなら、もうそうしている。
それができないから、肩がこるし、歯を食いしばるし、夜になっても頭が休まらない。
ベッドに入っても、体は横になっているのに、気持ちだけまだ立ったまま。
そんな夜もあるのではないでしょうか。
やることはやりたいし、必要な場面ではしゃんとしたい。
ただ、ずっと緊張したままではしんどい。
力を入れるときと、ゆるめるとき。
それらのバランスの切り替えが、もう少しうまくできたらいい。
本当に欲しいのは、その感覚なのかもしれません。
脱力というと、少し頼りない印象を持つ人もいるかもしれませんが、実際は元に戻るための力を蓄える時間。
固まりつづけるのではなく、いったんゆるめて、また必要なときに動けること。
そのしなやかさは、弱さではなく強さに近い。
ずっと張りつめたままでは、体も心も少しずつきしみます。
だから、ゆるむことは甘えではなく調整です。
休むことは、さぼりではなく回復です。
そして力を抜くことは、少しずつ身につけていける感覚。
このコラムでは、そんな“脱力のむずかしさ”を、体と心の両方からゆっくり見ていきます。
なぜ人は無意識に力んでしまうのか。
まじめさや気づかいは、どうして体の緊張につながりやすいのか。
休んでいるのに休まらないのは、なぜなのか。
そして、力を抜くのが苦手な人でもできる、小さな脱力の練習にはどんなものがあるのか。
急に変わらなくて大丈夫。
大きく生き方を変える必要もありません。
いつもより少しだけ肩を上げない。
少しだけ呼吸を急がない。
少しだけ、ちゃんとしすぎない。
そのくらいでも、体は案外ほっとしてくれることがあります。
まずは、うまく脱力できない自分を責めるより、少しだけ離れてみることから。
目次
第1章|人はなぜ、気づかないうちに力んでしまうのか
力みというと、何か特別な緊張状態のように思えるかもしれません。
でも実際は、もっと日常的で、もっと静かです。
たとえば、メールを返すとき。
たとえば、人と話すとき。
たとえば、急いで出かける朝。
たとえば、何もしていないはずなのに、なぜか落ち着かない休日。
そういう場面で、私たちの体は思っている以上にこまかく反応しています。
肩が少し上がる。
首が前に出る。
呼吸が浅くなる。
奥歯が触れる。
お腹にうっすら力が入る。
こうした小さな緊張が積み重なると、「なんだかずっと疲れている」という感覚になっていくことがあります。
やっかいなのは、多くの場合、その力みに本人が気づいていないことです。
体に力が入るのは、何かをがんばっているときだけではありません。
むしろ、気をつかっているとき、考えごとをしているとき、失敗したくないと思っているときに、静かに起こりやすいものです。
つまり力みは、気合いの問題というより、身を守るための反応に近いのかもしれません。
人は不安があると、少し身構えます。
失敗したくないときは、無意識に体が固くなります。
相手の表情を読みすぎると、顔まわりまでこわばります。
「ちゃんとしなきゃ」と思うほど、体はゆるみにくくなるんです。
これは、性格が弱いとか、神経質すぎるとか、そういう単純な話ではありません。
まじめな人ほど、やさしい人ほど、責任感がある人ほど、無意識に緊張を引き受けやすい。
だから力みやすい人は、どちらかというと“がんばれる人”でもあるんですよね。
ただ、そのがんばりが長く続くと、体は「これが通常運転です」と覚えてしまいます。
本当は少し休みたい。
でも、休むモードへの切り替え方がわからない。
仕事が終わっても頭が止まらない。
家に帰っても肩が下がらない。
ベッドに入っても呼吸が浅いまま。
それはもう、意志の弱さではなく、緊張した状態に体が慣れてしまっているのかもしれませんよ。
現代の生活は、その“慣れた力み”をさらに強くしやすい環境です。
スマホを見る時間が長いと、目も首もずっと働きます。
通知が来るたびに、意識は小さく反応します。
SNSを見れば、比べなくていいことまで比べてしまう日もあります。
仕事では速さを求められ、日常では愛想や気配りも求められる。
便利なものが増えた一方で、気を張る場面も増えているのかもしれません。
しかも、こうした疲れは「今日はすごく大変だった」と自覚できるものばかりではありません。
むしろ、少しずつ削られていくタイプの疲れのほうが、あとから効いてきます。
長時間の前かがみ。
短い睡眠。
気をつかう会話。
急ぎ気味の移動。
考えごとをしながらの食事。
休んでいるつもりで、頭だけ働いている時間。
こういう日々が続くと、体は休み方を忘れたようになります。
その結果、「リラックスしたいのにできない」「のんびりしているはずなのに落ち着かない」という状態が起きやすくなるんです。
ここでひとつ大事なのは、力んでいる自分を悪者にしないことです。
力みは、多くの場合、その人なりに暮らしをうまく回そうとした結果です。
きちんとしたい。
迷惑をかけたくない。
期待に応えたい。
空気を悪くしたくない。
そういう思いの積み重ねが、体を少しずつ緊張させていることもあります。
だから必要なのは、「こんなに力んでしまう自分はだめだ」と責めることではなく、
ああ、自分はけっこう長いこと気を張っていたんだなと気づくこと。
脱力の最初の一歩は、上手にゆるめることではありません。
まずは、自分がどんな場面で力みやすいのかを知ることです。
急いでいるとき。
人に気をつかっているとき。
考えすぎているとき。
ちゃんとしようとしているとき。
何かに備えているとき。
その癖が少し見えてくるだけでも、体との付き合い方は変わってきます。
力を抜くというのは、急に別人になることではなく、
自分の緊張のパターンを知って、少しずつほどいていくことなのかもしれません。
第2章|まじめな人ほど、体の休ませ方がわからない
力が抜けない人のなかには、がんばり屋の人が少なくありません。
きちんとしたい。
迷惑をかけたくない。
なるべく感じよくいたい。
頼まれたことはちゃんとやりたい。
空気もできれば悪くしたくない。
そういう気持ちは、とても自然です。
社会の中で生きていくうえでも、誰かと関わるうえでも、きっと大切な感覚なのでは?
ただ、その“ちゃんとしていたい気持ち”が強い人ほど、休む場面でも無意識に気を張りつづけてしまうことがあります。
たとえば、休日。
やっと休める日なのに、なぜか落ち着かない。
少し寝坊しただけで時間を無駄にした気がする。
だらだらしていると、「何かひとつくらいやったほうがいいかな」と思えてくる。
ソファに座っていても、洗濯物のことが気になる。
外に出なくてもいい日なのに、出かけないと損をしているような気がする。
こういう落ち着かなさは、怠け癖というより、休んでいる時間の中でも評価の目線が動いてしまうことに近いのかもしれません。
ちゃんとしたい人は、行動だけでなく、休み方までちゃんとしようとします。
しっかり眠ろう。
うまく気分転換しよう。
効率よく回復しよう。
休むなら意味のある休みにしたい。
その気持ちはとてもよくわかるのですが、ここに少しだけ難しさがあります。
休息は、がんばり方の延長でうまくいくとは限らない
力を入れるときは、意識を前に向ける必要があります。
やることに集中して、段取りを考えて、抜けがないように進める。
でも休むときは、その逆の感覚が必要になります。
成果を出そうとしすぎない。
ちゃんと休めているかを監視しすぎない。
少しくらいぼんやりしてもよしとする。
つまり、評価のモードをいったん弱めることが大事になってきます。
けれど、まじめな人ほど、この切り替えがむずかしい。
“ちゃんとできているか”を見る癖は、日常では役に立ちます。
でも、その目線を自分に向けたまま休もうとすると、心はなかなかゆるみません。
寝転んでいても、「こんなことしていて大丈夫かな」と思ってしまう。
湯船に入っていても、明日の予定が浮かぶ。
散歩していても、つい頭の中で仕事が再開する。
体は止まっているのに、心だけがずっと勤務中。そんな感じです。
もうひとつ、気づかいが強い人にも、似たことが起こりやすいようです。
気づかいができる人は、周りの小さな変化によく気づきます。
相手の表情。
声の調子。
場の空気。
今この言い方でよかったかな、あの返事は冷たくなかったかな、と後から思い返すこともあるかもしれません。
こういう感覚は、人との関係をなめらかにしてくれる一方で、体にとってはずっとアンテナを立てている状態でもあります。
アンテナが立っているとき、人は完全には休めません。
安心しきる前に、次の反応に備えてしまうからです。
だから、気づかいの多い人ほど、ひとりになってもすぐにはゆるめないことがあります。
その場に相手がいなくても、心の中ではまだ誰かとのやりとりが続いている。
あの言い方でよかったか。
あの場面、変じゃなかったか。
次はどうしたらもっとよかったか。
それを考えていると、表情も呼吸も、まだ少し緊張したままです。
ここでおもしろいのは、まじめな人や気づかいのできる人ほど、自分の疲れに気づくのが遅いことです。
まだ大丈夫。
これくらい普通。
みんなこれくらいやっている。
自分だけが疲れた顔をするのも変かもしれない。
そうやって、しんどさを後ろに回してしまう。
その結果、ある日急にどっと疲れが出ることがあります。
ひどく落ち込むほどではないけれど、なんとなく元気が出ない。
眠ってもすっきりしない。
少しのことが面倒になる。
人と話すだけで消耗する。
何か大きな出来事があったわけではないのに、気力だけがじわじわ減っていく。
それは、体がわがままを言っているのではなく、ずっと後回しにされていた疲れが、ようやく表に出ている証拠ではありませんか?
休みかたの適正も人さまざま。
誰かと話して元気になる人もいれば、ひとりの時間で戻ってくる人もいます。
にぎやかな場所で切り替わる人もいれば、静かな部屋のほうが落ち着く人もいます。
体を動かすと楽になる人もいれば、まず横になることが必要な人もいます。
でも、まじめな人ほど自分に合った休み方がわからず「正しい休み方」を探してしまいやすい。
これをすれば整う。
これができれば元気になる。
そんな答えを探したくなる気持ちもあります。
ただ、脱力は少し個人的なものです。
みんなに同じやり方が合うわけではありません。
むしろ大切なのは、自分がどんなときに少しゆるみやすいのかを知ることです。
たとえば、温かい飲み物を両手で持っているとき。
照明を少し落としたとき。
湯船に入って、目を閉じたとき。
誰とも話さずに歩いているとき。
ふかふかの布にくるまったとき。
深く息を吸うより、長く吐けたとき。
そういう小さな“ゆるみやすい条件”は、人それぞれ違います。
でも、自分のそれを知っている人は、回復が少し上手になります。
そしてもうひとつ、脱力が苦手な人にとって大事なのは、
休めない自分をさらに責めないことです。
休めていない。
また考えすぎている。
せっかくの休日なのに、うまく切り替えられない。
そうやって自分にダメ出しをすると、心はまた“ちゃんとしなきゃ”の側に戻ってしまいます。
脱力は、できるかできないかで採点するものではありません。
少しでも、前より肩が上がっていない。
少しでも、呼吸が浅くない。
少しでも、今はこれでいいと思える。
そのくらいの変化でも十分なんです。
まじめさも気づかいも、本来は悪いものではありません。
ただ、それが強く働きすぎると、体を休ませる時間まで緊張が入り込んでしまう。
だから必要なのは、その性格をなくすことではなく、
がんばる自分とは別に、ゆるめる自分も持っておくことなのではないでしょうか?
第3章|休んでいるのに休まらないのは、なぜなんだろう
「今日はちゃんと休んだはずなのに、あまり回復した感じがしない」
そんな日があります。
寝る時間はあった。
家でゆっくりもした。
大変な予定も入れていない。
それなのに、なぜか疲れが残っている。
体は止まっていたはずなのに、気持ちが休んでいないような感覚です。
これは珍しいことではないのかもしれません。
休むというと、つい「動かないこと」を思い浮かべます。
もちろん、それも大事です。
忙しい日が続いたあとには、予定を減らして、体を止める時間が必要です。
でも、休息はそれだけでは足りないことがあります。
体が止まっていても、頭の中がずっと動いていたら、心はなかなか休まりません。
たとえば、ソファで横になりながらスマホを見ている時間。
一見、休んでいるように見えます。
でも実際には、情報が次々と入ってきます。
短い動画、気になるニュース、人の近況、仕事の連絡、広告、買い物の情報。
指先しか動かしていないのに、意識はずっと働いている。
この状態では、体は止まっていても、脳はあまり休めていないのかもしれません。
しかも、スマホの時間は意外と“切り替え”が起こりにくいんですよね。
笑ったかと思えば、次の瞬間には少し不安になる話題が出てくる。
癒される写真を見たあとに、比較したくなる投稿が流れてくる。
気楽に見ていたつもりでも、心は細かく反応を続けています。
その結果、休んだはずなのに疲れる、という不思議なことが起こります。
もうひとつ、休んでも休まらない人に起こりやすいのが、休みながら考えているという状態です。
明日のこと。
このあとやること。
返していない連絡。
あのときの言い方。
今後どうしよう、という小さな不安。
こういう考えごとが頭のすみで動きつづけていると、体はなかなか安心できません。
人の体は、安心しているときにゆるみやすくなります。
でも、少しでも“備えている状態”が続いていると、呼吸は浅くなりやすく、肩や首にも力が残りやすい。
つまり、休まらないのは怠け方が下手なのではなく、警戒が切れていないのかもしれません。
ここで少しやっかいなのが、警戒している本人には、その自覚があまりないことです。
別に怖いことがあるわけではない。
強いストレスを感じているつもりもない。
でもなんとなく落ち着かない。
ぼんやりできない。
静かな時間なのに、心だけそわそわしている。
そういうとき、体の中ではまだ“次に備えるモード”が続いていることがあります。
だから、休息には「時間」だけでなく、「質」もいるんですよね。
長く休めば回復する日もあります。
でも、本当に疲れているときほど、ただ時間を空けるだけでは足りないことがあります。
短くても、ちゃんと緩める時間。
頭の働きが少し弱まる時間。
誰にも評価されず、何かを生み出さなくてもよい時間。
そういうものがあると、休息の質は少し変わってきます。
では、どういう時間が“休まりやすい時間”になりやすいのでしょうか。
ひとつは、情報が増えすぎない時間です。
静かな部屋で温かい飲み物を飲む。
何も流さずに湯船に入る。
少し外を歩く。
ブランケットにくるまって目を閉じる。
どれも派手ではありませんが、感覚が散らかりにくい休み方です。
もうひとつは、どうにかしようと思わない時間です。
元気にならなきゃ。
前向きにならなきゃ。
切り替えなきゃ。
有意義に休まなきゃ。
そう思うほど、心はまた働きはじめます。
でも、回復は案外、結果としてついてくるものなのかもしれません。
まず必要なのは、「今はこれ以上がんばらなくていい」と体に伝わること。
その感覚が少しあるだけで、呼吸や姿勢は変わってきます。
それから、休まらない人ほど、休息を“大きく”考えすぎてしまうことがあります。
旅行に行かなきゃ。
丸一日空けなきゃ。
完璧に何もしない日をつくらなきゃ。
もちろんそれができたら理想的ですが、毎回そうはいきません。
だからこそ、日常の中に小さな休息を挟めるかどうかは大きいんです。
椅子に深くもたれて3回ゆっくり吐く。
目を閉じて首の後ろをあたためる。
5分だけ画面を見ない。
立ったまま肩を下げる。
ほんの少し窓を開ける。
それだけでも、体には「いったん緊張をほどいていい時間」が生まれます。
休んでいるのに休まらない人は、休息が足りないというより、
休息の入り口がうまくつかめていないことも。
止まれば休めるわけではない。
寝転べば回復するわけでもない。
評価されない状況。
少し感覚が静かになる瞬間。
そういう条件がそろうと、体はやっと「休んでいいんだ」とわかってくるのかもしれません。
脱力の練習は、ここから始まります。
何か特別なことをする前に、まずは自分がどんなときに休まりにくいのかを知ること。
そして、どんな条件だと少しゆるみやすいのかを見つけることです。
第4章|脱力は、練習していける
たとえば運動でも、最初からうまく力を抜ける人ばかりではありません。
肩に力が入る。
呼吸が止まる。
動きがぎこちなくなる。
でも何度か繰り返すうちに、余計な力を入れないほうが楽だと体が覚えていきます。
脱力も、少しそれに似ているのかもしれません。
しかも、力を抜く練習といっても、大げさなことをする必要はありません。
生活の中で、ほんの少し「緊張をほどく動き」を入れていくだけでも十分です。
まず一つ目は、息を吸うことより、吐くことを意識することです。
緊張しているとき、人は吸うほうに偏りやすくなります。
浅く、細かく、急ぐような呼吸です。
だから、ゆるめたいときは、大きく吸おうとするより、長めに吐くほうがうまくいくことがあります。
椅子に座ったままでも大丈夫です。
いったん軽く吸って、ふーっと少し長めに吐く。
それを2回か3回。
たったそれだけでも、肩や首の力が少し変わることがあります。
がんばって深呼吸しようとしなくていいんです。
呼吸まで張り切ると、また少し力んでしまいますからね。
二つ目は、肩を下げるより、上げてからゆるめることです。
力が入っている場所は、ずっとそのままだと自分でも気づきにくいことがあります。
そんなときは、一度わざと肩をすくめるように上げて、そこからストンと落としてみる。
ぎゅっと握って、ぱっと開く。
少し力を入れてからゆるめると、体は違いを感じ取りやすくなります。
脱力が苦手な人ほど、「抜く」だけではわかりにくい。
でも、「入っている」と「抜けた」の差が見えると、少し感覚がつかみやすくなります。
三つ目は、“ちゃんと休もう”としすぎないことです。
これは意外と大事です。
休もう、整えよう、回復しようと意気込むほど、休息まで予定のひとつみたいになってしまうことがあります。
そうなると、心はまた仕事の顔に戻ってしまいます。
だからこそ、休むときは少し雑である方がいいのかも。
お気に入りの飲み物を入れる。
ソファに深く座る。
ブランケットをかける。
照明を少し落とす。
音を減らす。
それくらいの小さな準備だけでも、体は「ここは緊張をほどいていい場所かもしれない」と感じやすくなります。
四つめは、力みやすい時間帯や場面を知っておくことです。
朝からもう肩が上がっている人もいます。
人と会ったあとにどっと疲れる人もいます。
夕方になると無意識に奥歯を噛んでいる人もいます。
寝る前に急に頭が回り出す人もいます。
自分の力みの癖がわかると、対処は少ししやすくなります。
たとえば夕方に固まりやすいなら、その時間に温かい飲み物を入れる。
寝る前に頭が働くなら、画面を見る時間を少し短くする。
人と会ったあとに疲れやすいなら、帰ってすぐ何かを始めず、数分だけ静かな時間をつくる。
脱力は、気合いで勝つものではなく、条件を整えるとうまくいきやすくなるものなのだと思います。
そしてもうひとつ、力を抜く練習では、感覚の小さな変化を見逃さないことも大切です。
肩が少し下がった。
呼吸がひとつ深くなった。
顔まわりがやわらいだ。
座っている感じが少し楽になった。
それだけでも十分です。
脱力が苦手な人は、「もっとちゃんとゆるまなきゃ」と思いやすいのですが、変化はいつも大きいとは限りません。
むしろ、ほんの少し緊張がほどけるだけでも、体にとっては大事な休憩です。
毎日ずっと上手に力を抜けなくてもかまいません。
一日のどこかで、ほんの数分だけでも“戻れる時間”がある。
それだけで、体のきしみ方は少し変わってきます。
力を抜くのが苦手な人は、それだけ今までたくさん力を使ってきた人。
だから、急に上手にならなくても大丈夫です。
最初は「少しゆるんだかもしれない」くらいで十分。
その感覚を何度か体に教えていくうちに、脱力は少しずつ身近なものになっていきます。
まとめ|力を抜けることは、弱さではなく、戻ってこられる力
「力を抜いて」と言われると、簡単そうに聞こえます。
でも実際には、それが意外とむずかしい。
店舗に来られるお客様の中にも、施術中に横たわっても力が入りっぱなしの方も多くいらっしゃいます。
気づかないうちに肩が上がっている。
呼吸が浅くなっている。
休みの日なのに落ち着かない。
寝ているのに、なんだか休まった感じがしない。
体は止まっているのに、心だけがまだ働いている。
そんなことは、今の暮らしの中ではめずらしくありません。
しかも、力が入ってしまう人ほど、だいたい理由があります。
まじめだから。
気をつかうから。
ちゃんとしたいから。
失敗したくないから。
期待に応えたいから。
つまりそれは、これまで一生懸命に暮らしてきた結果でもあるんですよね。
だからまず、力を抜けない自分を責めすぎなくていいのだと思います。
うまくゆるめないのは、怠けているからでも、性格がだめだからでもありません。
それだけ長いあいだ、気を張ることに慣れてきたのかもしれません。
このコラムで見てきたように、脱力は「何もしないこと」とは少し違います。
ただぼんやりしていればいい、という話でもありません。
本当に大事なのは、体と心が「もう備えなくていい」と感じられること。
安心できること。
評価されないこと。
情報が多すぎないこと。
少しだけ静かになれること。
そういう条件がそろって、ようやく人はゆるみはじめるのかもしれません。
そして脱力は、練習できる感覚です。
長く吐く呼吸。
肩をいったん上げてから落とすこと。
少し照明を落とすこと。
画面を見る時間を短くすること。
ブランケットにくるまること。
数分だけ何もしない時間をつくること。
どれも小さなことですが、そういう積み重ねが体に「ゆるんでいい時間」を教えていきます。
おそらく、目指したいのは“ずっと力を抜いている人”になることではありません。
必要なときにはちゃんと動けること。
がんばる場面では集中できること。
そのうえで、終わったあとに戻ってこられること。
力を入れっぱなしではなく、ゆるめる場所を知っていること。
そのしなやかさが、毎日を少し生きやすくしてくれるのだと思います。
ずっと張りつめていると、人は自分にも他人にも少し厳しくなります。
呼吸が浅い日は、景色までせまく見えることがあります。
肩が上がったままだと、気持ちまで急ぎやすくなります。
逆に、ほんの少し力が抜けるだけで、言葉がやわらかくなったり、考え方に余白ができたりすることもあります。
脱力は、だらしなさではありません。
毎日を壊さずに続けていくための、静かな調整です。
物事は息抜き上手な人ほど長く続く。
今日は少し呼吸が深かった。
肩が少し下がっていた。
休んだあと、少しだけ頭が静かだった。
そのくらいの小さな変化を見つけられたら、それでもう十分なのかもしれません。
力を抜くのが苦手な人は、ゆるめることを覚えていけたら、毎日がもう少し楽になります。
ちゃんとがんばれる人ほど、ちゃんとゆるんでいい。
そんな当たり前のことを、自分にも少しずつ許していけたらいいですね。


