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機能的な体づくりは、くらしを楽にする

体を伸ばす大人達

運動というと、ダイエットや体づくりなど、どうしても見た目の変化が話題になりやすいものです。

体重の変化や筋肉のつき方は写真にするとわかりやすい変化でありますが、そういうものはたしかに目に入りやすいですし、運動のわかりやすい成果でもあります。


ただ、毎日を助けてくれる体づくりは、そこだけではないんですよね。

朝、起きたときに体が重すぎないこと。座りっぱなしでも、肩や腰が固まりすぎないこと。階段を上るのが前ほどおっくうじゃないこと。少し歩いても、息が上がりすぎないこと。夜になるころにはちゃんと疲れて、眠りに入りやすいこと。こういう変化は、派手ではありません。写真にも数字にもなりにくい。でも、暮らしの中では、こういう小さな楽さのほうがずっと大きかったりします。


体が楽だと、生活の感じ方まで変わってきます。少し動くことが面倒になりにくい。仕事や家事のあとに残る疲れ方が違う。立つ、座る、歩く、持つ、振り向く、そんなふつうの動作のひとつひとつに、余計な引っかかりが減っていく。すると、気持ちのほうにも少し余裕が出てきます。


逆に、体がずっと重い。どこかがいつも張っている。呼吸まで浅くなっている。そんな状態が続くと、それだけで毎日は少し窮屈になります。何をするにも一段階しんどい。ちょっとしたことに気分まで引っぱられやすい。そう考えると、体づくりって、見た目を整えるためだけではなく、毎日を快適に過ごすための土台でもあるのだと思えませんか?


そしてその土台をつくる運動ほど、案外“映えない”ことです。

ゆっくりしたストレッチ。肩甲骨や股関節を動かすこと。体幹を安定させる地味なトレーニング。少し歩くこと。呼吸を整えること。こういうものは、写真にしたときの華やかさはあまりありません。がんばっている感じも、そこまで強く出ません。けれど、体の楽さや動きやすさに直結しやすいのは、むしろこういう運動だったりします。


派手な運動には達成感があります。気分も上がりますし、「やった」という実感も大きい。それはとてもいいことです。ただ、毎日を快適にするという意味では、続けられることのほうが大事です。一回の強さより、日常に無理なく置けること。映えるかどうかより、生活が少し楽になるかどうか。この視点で見ると、体づくりの意味は少し変わってきます。


今の時代は、健康も運動も、つい数字津や成果で語られやすいところがあります。何キロ減ったか。どこが引き締まったか。どんなトレーニングをしているか。もちろん、そういう目標があるのも自然です。でも、ずっと座っていても首がつらくなりにくいとか、疲れても回復しやすいとか、気持ちが詰まりにくいとか、そういう“生活の快適さ”も本当はかなり大事な成果です。


それに、快適さを目標にした体づくりには、少しやさしいところがあります。

見た目を追いかける運動は、ときどき自分を急がせます。もっと変わらなきゃ。もっと頑張らなきゃ。まだ足りない。そんなふうに、目標が前へ前へと逃げていくことがあります。でも、毎日を楽にするための体づくりは、そこまで自分を追い込みません。少し動きやすくなる。少し疲れにくくなる。少し眠りやすくなる。そのくらいの変化でも、十分うれしい。そう思えると、運動は義務より、暮らしを助ける習慣に近づいていきます。


このコラムでは、そんな機能的な体づくりを、見た目ではなく、快適さとリラックスの視点から見ていきます。体が動きやすいことは、なぜ暮らしを楽にするのか。“映えない運動”は、なぜ実は強いのか。体が整うと、なぜ気持ちの余裕まで変わりやすいのか。そして、体づくりの目的まで。

そんなことを、あまり気負わずにたどっていけたらと思います。




目次





第1章|“機能的な体づくり”は、暮らしやすさを変える


機能的な体、という言い方をすると、少し大げさに聞こえるかもしれません。

スポーツが得意な体。すばやく動ける体。筋力がしっかりある体。そんなイメージを持つ人もいると思います。けれど、ここで言いたいのは、そこまで特別なことではありません。

機能的な体というのは、もっと生活に近いものです。立つ、座る、歩く、持つ、振り向く、かがむ、起き上がる。そうした日常の動きが、無理なくできる体。必要以上に疲れず、必要以上にこわばらず、暮らしの中で余計な引っかかりが少ない体。まずは、そのくらいの意味で考えていいのでは?


この“引っかかりが少ない”というのが、実はかなり大事。

たとえば、朝起きたときに体が重すぎない。椅子から立ち上がるのに、いちいち気合いを入れなくていい。長く座っても、腰や肩がすぐに悲鳴を上げない。駅の階段を見たときに、心の中で小さくため息をつかなくてすむ。買い物袋を持っても、腕や背中に変な負担が残りにくい。こういうことは、ひとつずつ見ると地味です。でも、一日の中で何度も起きることだからこそ、積み重なるとかなり違います。


人は、派手な不調には気づきやすいのに、小さな不快には慣れてしまいやすいところがあります。

肩が少し重い。腰が少しだるい。歩くとすぐ疲れる。姿勢を変えるたびに、どこかがつっぱる。そのくらいだと、「まあこんなものか」と流してしまう。でも、その“まあこんなものか”が毎日の中にずっとあると、暮らし全体が少しずつ窮屈になります。

逆に言えば、その小さな窮屈さが減るだけで、毎日はちゃんと楽になります。

ここが、見た目の体づくりとの大きな違いかもしれません。


見た目の変化は、目で見てわかりやすいですし、人にも伝わりやすい。それはそれでうれしいことです。ただ、暮らしやすさの変化は、もっと静かです。自分にしかわからないことも多い。だから話題にはなりにくいのですが、生活を支えてくれる力としては、こちらのほうがずっと長く効くことがあります。


たとえば、前より疲れにくくなった。少し動くことが面倒ではなくなった。肩や股関節が前ほどつまらなくなった。夜になるころには、体がちゃんと“今日のぶんだけ疲れている”感じになって、眠りに入りやすくなった。こういう変化は、派手ではありません。けれど、実感としてはかなり大きいのです。


機能的な体づくりは、この“生活の中の小さな楽さ”を増やしていくことに繋がります。

しかも、体が動きやすいと、気持ちの動き方まで少し変わってきます。

体が重い日は、何をするにもひとつ余計にしんどい。その「ひとつ余計」が増えると、気持ちまで面倒になります。

少し歩くのもおっくう。立ち上がるのも面倒。出かけるのも面倒。すると、動かないことが増えて、さらに体が重くなる。この流れに入ると、体だけでなく、気分のほうまで鈍くなりやすい。


反対に、体が少し動きやすいだけで、「じゃあやってみようかな」と思えることが増えます。大きなやる気ではありません。もっと小さな、軽い動きです。水を飲みに立つ。少し散歩する。荷物を持っても前ほどいやじゃない。そのくらいの違いでも、暮らしの流れは変わります。

快適さは、こういう小さな動きの連続の中にあるのだと思えませんか?

だから、機能的な体というのは、単に“よく動ける体”ではなく、毎日を必要以上に消耗しない体とも言えます。力があることも大事ですが、それ以上に、力を入れすぎなくていいこと。頑張らないと動けないのではなく、自然に動けること。ここに、生活を楽にする体づくりの価値があります。


たぶん私たちは、「体を鍛える」という言葉を聞くと、どうしても強くなることを思い浮かべやすいのですが、本当に助かるのは、強さだけではないはず。

詰まりにくいこと。固まりにくいこと。疲れをためすぎないこと。呼吸が浅くなりすぎないこと。こういう要素も、立派な“動ける体”の一部です。むしろ、快適さやリラックスという視点では、そのほうがずっと大切なこともあります。


機能的な体づくりを、スポーツやトレーニングの話だけにしてしまうと、この大事な部分が抜けてしまいますが、もっと生活そのものの話なのです。

朝、機嫌よく起きられるか。昼すぎに肩が上がってこないか。夕方に足が重くなりすぎないか。夜にちゃんと眠たくなれるか。そういう一日の質に、体の状態はかなり関わっています。だから、見た目より先に暮らしやすさが変わる、というのは、少しも控えめな話ではありません。それは体づくりの“おまけ”ではなく、むしろ本体に近いものだと思います。


体が楽になると、毎日の細かい場面で、自分を追い込まなくてすむようになります。その積み重ねが、生活の快適さになります。そして、その快適さがあるからこそ、心にも少し余裕が生まれる。ここまでつながってくると、体づくりはもう、単なる運動習慣というより、暮らしの整え方のひとつなんですよね。


この章で言いたいことは、体づくりの価値を、目に見える変化だけで決めなくていいということです。

前より少し疲れにくい。前より少し動くのが楽。前より少し、体のことを忘れていられる。そのくらいの変化でも、毎日にはちゃんと効いてきます。そして、そういう変化を積み重ねていくことこそ、機能的な体づくりの強さなのだと思います。


次の章では、そうした暮らしやすさを支えてくれるのが、実は派手な運動より“映えない運動”だったりする、という話を見ていきます。地味なのに強い。目立たないのに生活に効く。そんな運動の価値を、もう少したどっていきます。






第2章|“映えない運動”は生活にそのまま効く


運動は「やっている感」を体感的に直に感じれることが大きな喜びでもあります。

しっかり汗をかく。筋肉に効いている感じがある。終わったあとに達成感が残る。そういう運動はわかりやすいですし、気分も上がります。頑張った実感があるので、満足感も大きい。それはとてもいいことです。


ただ、毎日を快適にするための体づくりという視点で見ると、もう少し地味なもののほうが役に立つことがあります。

たとえば、肩甲骨をゆっくり動かすこと。股関節まわりをほぐすこと。体幹を安定させるための小さな動き。呼吸を深くするためのストレッチ。少し歩くこと。軽く伸びること。こういうものは、写真にしたときの華やかさがあまりありません。一生懸命さも派手には見えない。だから、つい運動としての格が低いように見えてしまうことがあります。


でも、実際にはこういう“映えない運動”のほうが、生活の中の不快にまっすぐ効いてくれるんです。

首や肩が重い。背中が固まる。股関節がつまる。座りっぱなしで腰がだるい。息が浅くなる。そうした不調は、激しい運動より、むしろ地味な動きの積み重ねで変わりやすいことがあります。しかも、それはただ一回楽になるというだけではなく、体が詰まりにくい状態を少しずつつくっていくことにもつながります。

ここが大きいんですよね。


ジムでのワークアウトやランニングな大きな運動は、達成感が大きいぶん、やれない日との落差も大きくなりやすい。やれる日はやれるけれど、疲れている日や余裕のない日には、少し遠く感じることがあります。すると「今日はできなかった」で止まりやすい。でも“映えない運動”は、その日の状態に合わせて置きやすい。少し伸びる。少し回す。少し歩く。そのくらいでも形になる。だから、暮らしの中に入りやすいんです。


体づくりで本当に強いのは、実はこの「入りやすさ」なのかもしれません。

一回で大きく変わるものより、毎日の中で繰り返しやすいもの。気合いがある日だけではなく、普通の日にもできるもの。頑張れる自分に頼るのではなく、そこまで頑張れない日にも置けるもの。そういう運動のほうが、結果として体を底から変えていきやすいです。

しかも、地味な運動には、終わったあとに体が軽くなりやすいという良さがあります。


激しい運動のあとは、もちろん気分が上がることがありますが、同時に疲れもはっきり残ります。それが悪いわけではありません。ただ、快適さやリラックスを目標にするときには、「終わったあとに楽かどうか」もかなり大事です。地味な運動は、ここに強い。呼吸がしやすい。肩が少し下がる。足が前より軽い。そのまま暮らしに戻ったとき、生活が少し楽になる。この感覚は、毎日の中ではかなり価値があります。


生活を楽にする体づくりって、運動そのものの時間だけで完結しないものです。

大事なのはそのあと。仕事中、家事の途中、移動のとき、夕方、夜。運動をしていない時間に、体がどう変わっているか。そこに効いてくるもののほうが、実は結果的に“強い運動”なのだと思いませんか?

だから、映えるかどうかで運動を選ぶと、少しもったいない。見た目に変化が出やすいもの。頑張っている感じが伝わりやすいもの。もちろん、それも魅力です。でも、毎日を快適にするという意味では、地味な運動のほうがずっと働いていることがあります。


たとえば、5分のストレッチは目立ちません。股関節を回しても、誰も拍手してくれません。肩甲骨を動かしてもSNS映えするものではない。でも、その5分で呼吸が少し深くなる。股関節を動かしたおかげで立ち上がりが楽になる。肩甲骨をゆるめたことで夕方の首の重さが違う。こういう変化は、静かですがちゃんと効いています。そして、その静かな効き方こそ、生活を変えていくんですよね。


リラックスの視点から見ても、この“地味さ”はかなり大事です。

体を追い込む運動は、テンションを上げる力があります。それはそれで必要な日もあります。でも、いつもそればかりだと、体を整えるというより、体を奮い立たせる方向へ寄りやすい。快適さを目指すなら、ときには体を起こすより、体を戻す運動のほうが合っています。戻す。ほどく。通す。軽くする。そういう地味な言葉のほうが、むしろ毎日の体にはしっくりくることがあるんです。


地味なストレッチや運動が強いのは、日常に取り入れやすく、生活にそのままつながっている

終わったあとに、日常が少し楽になる。昨日より少し詰まりにくい。一日の中で体を嫌う時間が減る。その変化は控えめですが、長く見るとかなり大きい。そして何より、そういう運動は自分を追い込みにくい。そこに、快適さやリラックスと相性のいい理由があります。


体づくりは、つい“効いている感じ”を求めたくなります。わかりやすく筋肉に響く。すぐ結果が見える。そういうものは魅力的ですが、毎日を支えているのは、もう少し静かな運動です。その日の動きやすさを整えてくれるもの。体の中に少し余白をつくってくれるもの。生活にすっと置けるもの。そういう運動は、派手さはなくても、かなり頼りになります。


つまり、“映えない地味な運動”は暮らしそのものを少しずつ変えていけるからなのだと思います。

次の章では、その地味な体づくりが、なぜ気持ちの余裕にまでつながりやすいのかを見ていきます。体が整うと、どうして心の緊張まで少しゆるみやすくなるのか。そこをたどっていくと、運動の意味はもう少し広がって見えてきます。






第3章|体が整うと、心の緊張まで少しゆるみやすい


体づくりの話をしていると、つい筋肉や姿勢や体力のことだけを考えがちです。

でも実際には、体がどういう状態にあるか、どう機能するかを考えると気持ちの持ち方まで少し変わってきます。


たとえば、肩がずっと上がっている日。首の後ろが固い日。背中が詰まっていて、呼吸まで浅い日。そういう日は、考え方も少し急ぎやすくなります。何かを大きく受け取りやすかったり、必要以上に疲れたり、ちょっとしたことが気になったりする。心だけの問題に見えて、実は体のほうが先に緊張していることは、案外多いんですよね。


逆に、体が少し楽な日は、それだけで物事の受け取り方が違います。肩の力が抜けている。息が前より深く入る。座っていても、どこかがずっと苦しいわけではない。そんな状態だと、同じ一日でも少し余裕を持って過ごしやすくなります。


ここで言いたいのは、運動をすれば悩みが消える、という話ではありません。もちろんそんなに単純ではない。ただ、体がいつも張りつめている状態より、少し整っている状態のほうが、心も必要以上に尖りにくい、ということです。この違いは、毎日の中ではかなり大きいと思います。


体が固いと、生活全体が少し“戦闘態勢”っぽくなります。立つにも力がいる。座っていても完全には休まらない。呼吸が浅いので、どこか落ち着かない。その状態が続くと、気持ちのほうまで、無意識に身構えやすくなる。何かに備えている体で、何にも備えずにゆったり過ごすのは、意外と難しいんですよね。


機能的な体づくりは、ただ動けるようになるためだけのものではなく、力を抜きやすい体をつくることでもあります。

この“力を抜きやすい”はかなり大事。

しっかり立てる。ちゃんと歩ける。疲れすぎない。そのうえで、必要のない力みを抱え込まなくてすむ。

それがあると、体はずいぶん快適になります。そして、快適な体は、心にとってもやさしい土台になります。


たとえば、股関節が固いと歩幅が小さくなりやすいですし、背中が丸まりやすいと呼吸も浅くなりやすい。肩甲骨まわりが動きにくいと、首や肩の重さまで引っぱりやすい。こういう状態って、それぞれは小さいことに見えるのですが、全部つながっているんです。体の中のどこかが詰まると、別の場所もそのぶんがんばることになる。そうして少しずつ、全体の余裕が減っていきます。


逆に、その詰まりが少し取れるだけで、呼吸の感じまで変わることがあります。背中が少し開く。胸が少し楽になる。足が前より軽く出る。そうなると、気持ちまで少し前向きになるというより、過剰にしんどがらなくてすむようになります。ここが大きいんです。


心に余裕がある、というと、精神的に成熟しているとか、感情をうまく扱えるとか、そういう話に聞こえやすいかもしれません。でも実際には、体がそこまでしんどくない、ということもかなり関係しているはずです。体がずっとつらいと、それだけで人は消耗します。

そして消耗しているときは、やさしく考えることも、落ち着いて受け止めることも難しくなる。そう考えると、体を整えることは、心に命令することより、ずっと現実的なリラックスの方法なのかもしれません。


ゆったりとした運動は体の詰まりを静かに減らしてくれます。

肩甲骨を動かす。股関節をほぐす。背中を伸ばす。体幹を安定させる。呼吸を深くしやすい姿勢をつくる。どれも、気分を一気に変えるような派手さはありません。でも、その積み重ねで、体は少しずつ“緊張が通常モード”ではない状態へ戻っていくことでしょう。


それはつまり、体のほうから心の余白を手伝っている、ということでもあります。

落ち込みやすい日。気持ちが急ぐ日。考えすぎる日。そういう日は、心だけをどうにかしようとすると苦しくなることがあります。前向きにならなきゃ。気にしすぎないようにしなきゃ。切り替えなきゃ。でも、そういう命令って、疲れているときほど響きにくいんですよね。


その点、体から入るほうが少しやさしい。まず肩を回す。立ち上がって歩く。背中を伸ばす。息をひとつ長めに吐いてみる。そんなことでも、詰まっていた感じが少し動くことがあります。心を説得するのではなく、体の状態を少し変えることで、気持ちの入り方も変えていく。この順番は、かなり助けになります。


だから、快適さを目標にした体づくりというものは、見た目や体力だけの話ではなく、心を追い込みすぎないためにする体の準備でもあるのでしょう。

疲れにくい。詰まりにくい。呼吸しやすい。そのくらいのことでも、人は前より落ち着いて暮らせるようになります。大きく変わった感じはしなくても、毎日の中ではちゃんと効いている。こういう変化は、派手ではないぶん、静かに長く残ります。


体が整うと、すべての問題がなくなるわけではありません。ただ、問題を抱えたときの受け止め方は少し変わります。それだけでも、かなり価値があります。しんどいことがゼロにならなくても、必要以上に引きずらなくてすむ。詰まりすぎない。固まりすぎない。この違いが、毎日の快適さをつくっていくのだと思います。


つまり、機能的な体づくりは、体を鍛える話でありながら、同時に気持ちの逃げ道を少し増やしていく話でもあるのです。






第4章|体づくりの目的を、「ちゃんと暮らせること」に戻してみる


体づくりという言葉を聞くと、何かを変えるためのもの、という印象が先に立ちやすいかもしれません。

体力をつける。筋肉をつける。引き締める。不調を改善する。どれも大事ですし、目的として間違っているわけではありません。ただ、毎日の暮らしに引きつけて考えると、もう少しちゃんと暮らせるという静かな目的があってもいいのだと思います。



朝、起きたときに体がつらすぎない。座る、立つ、歩くといったことに、余計な負担が少ない。日中に体が固まりきらない。夕方以降も、必要以上に消耗しない。夜になれば、ちゃんと休む方向へ体が向かっていく。こういうことは、一見すると小さいのですが、生活全体の質にかなり関わっています。


体づくりの目的をここに置くと、運動との付き合い方が少し変わります。

何かを大きく達成するためというより、今日の自分を少し暮らしやすくするため。昨日より完璧になるためというより、明日の自分がつらくなりすぎないため。そう考えると、運動は努力や根性の話だけではなく、生活を整えるための手段として見えてきます。

これは、かなり大きな違いだと思います。


目標が遠すぎると、体づくりはどうしても構えてしまうものになります。ちゃんとやらなければいけない。続けなければ意味がない。もっと負荷を上げたほうがいいのではないか。そんなふうに考えはじめると、運動が少し窮屈になることがあります。


でも、目的が「ちゃんと暮らせること」なら、少し考え方がやわらぎます。

今日は肩まわりを軽くする。今日は座りっぱなしの体を戻す。今日は少し歩いて呼吸を深くする。そのくらいでも、十分意味がある。体づくりというより、体の調子を整える習慣に近くなっていくんですよね。


そして、この視点には続けやすさがあります。

毎日を快適にするためのことなら、大げさでなくていい。完璧でなくていい。少し足りない日があってもいい。それでも、やらないよりは楽になる。その実感があると、運動は義務ではなく、暮らしの一部として残りやすくなります。

たぶん、多くの人にとって本当に欲しいのは、「すごく鍛えられた体」だけではないのでしょう。


もう少し軽く動けること。疲れがたまりすぎないこと。こりや詰まりが少ないこと。呼吸がしやすいこと。夜にちゃんと休めること。そういう、日常の中の小さな快適さのほうが、実はずっと切実です。

だから、これからの体づくりは、何か特別なものを目指すためだけでなく、今の生活をもう少し楽にするためでいいのだと思います。


体を鍛える、というより、体を助ける。自分を追い込む、というより、動きやすい状態へ戻していく。そういう感覚で運動を見られるようになると、続けることへの抵抗も少し減っていきます。


暮らしやすい体は、派手ではありません。けれど、長く付き合っていくには、とても頼りになります。そして、そういう体は、一回の強い頑張りより、小さな調整の積み重ねでできていくものなのだと思います。






まとめ|毎日を快適にする体づくりは、静かで強い。


運動の価値は、見た目の変化だけでは測れません。

毎日を快適に過ごせること。少し動くことが前より面倒ではなくなること。疲れやこりをためこみにくくなること。呼吸が浅くなりすぎないこと。夜にちゃんと休む方向へ体が向かうこと。そうした変化もまた、体づくりの大切な成果です。


そして、その土台をつくるのは、派手なことより、日常に置きやすい小さな運動であることが多いのでしょう。


ストレッチ。肩甲骨や股関節を動かすこと。体幹を安定させる小さな動き。少し歩くこと。呼吸を整えること。どれも控えめです。けれど、控えめだからこそ毎日に入りやすく、毎日に入るからこそ、暮らしにしっかり残ります。


体が整うと、動きやすさだけでなく、気持ちの余裕まで少し変わりやすくなります。必要以上にこわばらない。必要以上に疲れすぎない。必要以上に詰まりすぎない。その違いが、生活全体の快適さにつながっていきます。


機能的な体づくりは、特別な体を目指すことではなく、ふつうの毎日を少し楽にすることなのだということ。

だからこそ、地味な運動ほど長く役に立つ。すぐに目立たなくても、静かに効き続ける。そういう強さがある。

体づくりは、自分を追い込むためではなく、毎日を少し気持ちよく過ごすためのもの。そう考えると、運動はもう少しやさしく、もう少し続けやすいものになっていきそうです。






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