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『緊張をゆるめる一杯 ─ 酔いと心の関係』

乾杯する男女

「乾杯」は、どうして心をほどくのか



「じゃあ、まずは乾杯から──」

そう言って、グラスとグラスが軽くぶつかる音が響くと、空気がふわっとほどけるような瞬間があります。

それまで少しよそよそしかった会話にも、なんとなく笑顔が混ざって、少しだけ肩の力が抜けていく。

お酒という液体が、まるで“緊張をほどく合図”のように作用しているのかもしれません。


たとえば、久しぶりに会う旧友と。

たとえば、はじめましての人との食事会で。

そして、ひとりきりで家に帰った夜にも──

グラスを手に取るという行為には、言葉を使わずに“心のモード”を切り替える力があるようです。


では、なぜ人は「飲む」という行為によって、心のこわばりをゆるめることができるのでしょうか。

どうして私たちは、疲れた日や、緊張した日の終わりに、“一杯”という言葉を欲するのでしょう?


本音を言えば、酔わなくても話せる人になりたい。

でも、お酒の力を借りることで、ほんの少しの勇気や、安心感が生まれるのもまた事実です。

その微妙な距離感や、弱さと強さのあいだにある「人間らしさ」こそが、心をゆるめるということの本質かもしれません。


このコラムでは、“緊張をゆるめる”という視点から、お酒と心の関係について考えてみます。

単に「飲み会が楽しい」「酔うと陽気になる」といった表面的なことではなく──

ストレス社会を生きる私たちが、なぜお酒に“安心”を求めるのか。

なぜ飲むと、素直になれる気がするのか。

その背景には、どんな心理や身体の反応があるのか。

そして、お酒を介さずとも心がゆるむような方法はあるのか──という問いも含めて。


お酒が飲める人も、飲めない人も。

日々をがんばる人も、ちょっとくたびれている人も。

緊張と仲良くするための、ひとつのヒントになれば嬉しいです。









第1章|緊張という名の“かたさ”に、どう向き合っている?



緊張とは、一体なんなのでしょうか。


たとえば、初対面の人との会話。

大勢の前で話すスピーチの前。

大切な商談や面接。

あるいは、好意を抱いている人と2人きりになったとき──

私たちは、さまざまな場面で「緊張」という感覚に襲われます。


手に汗をかく。

声がうわずる。

表情がこわばる。

体が思うように動かない。

そして、「ちゃんとしなきゃ」と焦る気持ちばかりが募っていく。


緊張は「敵」ではありません。

けれど、私たちの多くが、この“かたさ”を厄介なものとして扱ってしまいがちです。

この章では、そんな緊張という感覚と、どう向き合えばいいのかを探っていきます。




心は、無防備なまま人前に出ることができない



緊張とは、言い換えれば「自己防衛の準備動作」かもしれません。

心や身体が「危険かもしれない」「失敗するかもしれない」と無意識に感じたとき、

それに備えて、自分をぎゅっと引き締めるような反応が起こるのです。


つまり緊張とは、“心のヨロイ”のようなもの。

自分を守るために、筋肉がかたくなり、神経がとがり、言葉選びに慎重になってしまう。


本当は笑いたいのに。

もっと柔らかく振る舞いたいのに。

自分を良く見せたいという気持ちと、傷つきたくないという気持ちがせめぎ合って、

結局「かたさ」だけが先に立ってしまう。


誰かに見られている。

誰かに評価されている。

そんな意識が強くなるほど、私たちの心は“素のまま”ではいられなくなります。




「場の緊張」と「自分の緊張」は、別物かもしれない



興味深いのは、同じ場にいても「緊張しやすい人」と「そうでもない人」がいることです。


たとえば、何十人の前でもリラックスして話せる人。

初対面でもすぐ打ち解けられる人。

そういう人は、生まれつき“緊張しない性格”なのかといえば、決してそうとも限りません。


むしろ彼らの多くは、“場の空気”と“自分の心”を分けて考えられる人なのかもしれません。

つまり、「今この場は少しピリッとしてるけど、だからといって自分もピリピリしなくていい」と、

無意識に“空気から距離をとる”感覚が身についている。


逆に、空気に敏感すぎる人は、その場の緊張感をすべて自分の中に引き受けてしまいます。

「みんなが注目してる気がする」

「ちゃんとしないと浮いてしまう」

「場を壊したらどうしよう」

そんな思考がぐるぐると巡り、結果として、身体のかたさやぎこちなさにつながるのです。




緊張してもいい。でも、緊張に飲まれなくていい



「緊張しない人になりたい」と思う人は多いかもしれません。

でも、実は「緊張しなくなる」ということは、ある種の“心のセンサー”が鈍くなることでもあります。


緊張するのは、目の前の出来事を大切に感じているから。

本気だから。

期待や責任を感じているから。

それ自体は、悪いことではありません。


だから大事なのは、「緊張しないようにする」ことではなく、

「緊張と一緒にいることに慣れる」ことかもしれません。


息を吸うように、緊張もする。

お茶を飲むように、緊張を受け入れる。

「いま自分、ちょっとかたくなってるな」と気づけるだけでも、少しずつ心はほどけていきます。


お酒の話に戻すなら、たとえば乾杯のグラスを口に運ぶ動作には、

「よし、いったん心をほぐそう」という合図のような力があるのです。

緊張をゼロにするのではなく、“一瞬だけ脇に置く”ようなやり方。


そんな軽やかな逃し方ができる人は、きっと、緊張ともうまく付き合っていけるのだと思います。




「お酒がないと話せない」のではなく「ゆるむきっかけが少ない」だけ



お酒の力を借りて会話が弾んだ夜、

ふと「これ、素面でも話せたらいいのに」と思ったことはありませんか?


実は、話せるんです。

ただ、その“きっかけ”や“導火線”がないだけなのかもしれません。


お酒は、強制的に“OFFモード”をつくる装置のようなもの。

けれど、それがない日常では、心をほどくための「合図」や「切り替え」が意外と少ない。


だから私たちは、お酒に頼ってしまう。

そして、少しずつ「酔わないと本音が言えない」「飲まないと自分が出せない」というクセがついていく。


大事なのは、アルコールではなく“ゆるむ習慣”なのかもしれません。

それは、静かな音楽かもしれないし、やわらかい照明かもしれない。

誰かの笑顔や、風の音や、湯気の立つ料理かもしれない。

日常の中にある“緊張をゆるめる装置”を、ひとつずつ見つけていくこと。

それが、アルコールに頼りすぎない「心の緩め方」の第一歩になります。





第2章|酔うことで“素直”になれる理由



「酔った勢いで言っちゃった」

「お酒の席だから許して」

──そんな言い回し、よく耳にしますよね。


私たちは、なぜ「酔う」と“本音”が出るのでしょうか。

あれだけ言い渋っていたことが、さらっと口をついて出たり。

普段なら恥ずかしくて言えないような感謝や謝罪の言葉が、すっと言えたり。

あるいは、涙が出るほどの悔しさや寂しさが、抑えきれずにあふれ出てしまったり。


今回は、この「酔い」が引き出す“素直さ”の正体について、少し丁寧に見ていきます。




「理性」の手を、ほんの少し緩めてくれる



酔うという状態には、「抑制をゆるめる」という大きな作用があります。

脳の前頭葉──いわゆる理性や社会性を司る部分の働きが一時的に弱まり、

本来の感情や欲求が、表に出やすくなるんですね。


わかりやすく言えば、「頭よりも心が前に出てくる」。

計算や遠慮、見栄や羞恥心がゆるみ、言葉がするりとこぼれ落ちてくる。


これは、酔った自分が“本当の自分”というわけではありません。

ただ、普段は頭の中でせき止められていた水流が、少しだけ自由になるというだけのこと。


お酒が入ると素直になる人は、それだけ「普段がんばって抑えている人」なのかもしれません。

いい人でいようとしたり、空気を読んだり、常識や礼儀の“枠”を守ろうとしたり。

そうして頑張る自分の裏側に、本音が積み重なっていく。


その積み重ねは悪いことではないけれど、ときには少しだけ緩めたっていい。

お酒は、そんな「ゆるみのタイミング」をつくる役割を担ってくれているのかもしれません。




「自分の声」が、聞こえやすくなる時間



酔ったとき、ふとした瞬間に、心の奥からぽつりと言葉が出てくることがあります。

「あのとき、本当は悔しかったんだよね」

「ほんとは、もっと大事に思ってた」

「寂しかったんだと思う」


そういうときって、誰かに言うための言葉というより、

“自分自身がようやく気づいた気持ち”だったりします。


日常の中で私たちは、つい「どう思われるか」ばかりを優先してしまいがちです。

自分の本心を置き去りにして、相手にとって正しい返し方、

円滑に進むふるまい方を優先してしまう。


でも、酔いの中にいるときは、少しだけ世界がぼやけて、

“自分の輪郭”がくっきりしてくる。

心の声が、聞こえやすくなる。

他人の目から解放されると、自分の目と向き合えるようになるのかもしれません。




本音を言ってしまうのではなく、「言える状態になる」



よく、「お酒の力を借りて本音をぶつけた」という話があります。

でも本当は、「お酒があったから言えた」というより、

「相手と安心できる関係があったから言えた」んだと思うんです。


酔っていても、どうでもいい相手には心を開きません。

むしろ、無意識に“言葉を選ぶモード”のまま、適当な距離感で接することも多い。

つまり、酔って本音が言えるというのは、

「相手に対して、素直になっても大丈夫だと感じている」状態。


酔いはきっかけでしかなく、

その人とだからこそ、“素直な自分”が許せたという証なんですね。




素直になるって、恥ずかしいことじゃない



子どもの頃は、もっと素直だった気がします。

うれしいことがあったら跳ねるし、

悲しいことがあればすぐ泣いて、

「ありがとう」も「ごめんね」も、ストレートに言えた。


でも大人になるにつれて、

「そんなこと言っても仕方ない」

「みっともない」

「弱みを見せたら損をする」

──そんなフィルターが心に何枚も重なって、

気づけば“素直でいること”が、難しくなっていきました。


酔っているときにポロッと出た言葉は、

そんなフィルターを一時的に透かして出てきた、まっすぐな気持ち。

それを恥じる必要なんてないし、

むしろ「素直になれた自分」を、少しだけ誇ってもいいのかもしれません。




“酔わずに素直でいられる時間”を増やしてみる



お酒の力を借りずとも、素直でいられる瞬間は、きっと日常にもあります。


たとえば、深夜の散歩のとき。

ラジオから流れてきた、昔好きだった曲。

気心知れた友人との何気ない会話。

眠る直前の、まどろみの時間。


それはいつも、ちょっとだけ心が緩んでいる時間です。

誰の評価も気にせず、自分の感情とだけ向き合える、静かなひととき。


お酒は、そんな“素直さ”へのショートカットをくれるけれど、

それと同じくらい、日常の中にも“ゆるむきっかけ”は転がっている。


自分を知り、自分のままでいられる時間。

それを少しずつ増やしていくことができたなら、

酔わなくても素直になれる日が、いつか自然にやってくるのかもしれません。




第3章|“酔ってる人”が少し愛おしく見える理由



どこかで一度は、酔っ払った人を見て「なんだか、かわいらしいな」と思ったことがあるかもしれません。ふだんはしっかり者なのに急に甘えん坊になったり、普段なら絶対言わないような本音がぽろりとこぼれたり。そういう瞬間は、ただの笑い話以上に、その人の“素のやわらかさ”や“弱さを許す強さ”が垣間見えて、ちょっとだけ胸がじんとするような、不思議な感情を呼び起こします。


この章では、お酒を飲んだときに人が「愛おしく」見えてしまうその理由を、心と身体の変化、社会的な距離感、そして感情の解放という観点から、ゆるやかにひも解いていきます。




1|「素の顔」が見えると、ほっとする



ふだんは隙を見せないように、きちんとした言葉を選んで、礼儀正しくふるまう人が多いこの社会。だからこそ、たとえば職場の打ち上げや、久しぶりの友人との再会で、ふと見せた“酔い”の表情に、ギャップを感じて親しみが増すということがあります。


ちょっとろれつが回らなくなっていたり、声が大きくなっていたり、手振りがいつもより多くなっていたり。酔ったときの仕草には、抑制の外れた“その人らしさ”がぽろりとこぼれます。それは、完璧さよりもずっと、人間味のあるあたたかさです。


無防備でいること、格好悪さを見せること、それ自体が「信頼の証」でもあります。そんな瞬間に立ち会ったとき、私たちは自然とその人のことを“許せる存在”として受け止めたくなるのかもしれません。




2|「笑い」のスイッチが、軽くなる



お酒が入ると、何気ない会話でもやたらとおかしく感じたり、笑いの沸点がぐんと下がったりします。「ちょっと待ってそれ何!」と笑い転げるような場面も、あとで思い返すと大した話じゃなかったりするものです。


この“笑いの軽さ”こそが、酔いの魔法のひとつかもしれません。


アルコールがもたらすリラックス効果は、脳の前頭葉──つまり、理性を司る部分の活動をほんの少しだけ緩めてくれます。判断や抑制がゆるんで、感情の起伏が表に出やすくなるのです。


だからこそ、冗談やノリも受け止めやすくなって、場の空気がふわっとほぐれやすくなる。そうした“ゆるんだ空間”に身を置くと、周囲の人がみんな少しずつ「かわいらしく」見えてきてしまうのかもしれません。




3|「許される空気」が、心をほどく



面白いことに、酔っている人を見ると、私たちは“ツッコミ”や“フォロー”を自然に出しやすくなります。「えーそれ本気?」「ちょっと水飲もうか?」といった言葉が、普段よりスムーズに出てくる。


つまり酔っている人のまわりには、“許しの空気”が広がっているのです。


それは決してバカにするような感情ではなくて、「今この人は、弱くてもいい状態なんだ」と感じ取るからこそ生まれる優しさです。


自分が完璧でいなくていいように、相手も完璧でなくていい。そんな双方向の“ほどけた空気”が、心の緊張をゆるめてくれます。その場にいる全員のガードが少しずつ下がることで、人と人のあいだにある壁が、いつのまにか溶けてなくなるような、そんな感覚さえあります。




4|「感情の言語」が、届きやすくなる



酔った人の話す言葉には、時折、驚くほど素直な感情がのっています。


たとえば、ふだんならなかなか言えないような「ありがとう」とか、「寂しかったよ」とか、「ほんとはさ……」という言葉が、ぽつりとこぼれることがあります。こうした瞬間に立ち会うと、なんだか胸の奥がじんわりあたたかくなったりするものです。


もちろん、すべての酔った発言が“美しい本音”とは限りませんし、言わなくていいことまで口にしてしまう場合もあります。でも、だからこそ本音が垣間見えたときには、その言葉の温度がストレートに伝わってきます。


感情の輪郭が、普段よりはっきりと見える。その素直さが、愛おしく感じられる理由のひとつなのかもしれません。




5|“酔う”ことは、他者との「安心距離」をつくる行為



お酒が苦手な人にとっては、ここまでの話にピンとこない部分もあるかもしれません。でも、“酔い”とは必ずしもアルコールに限ったものではなく、たとえば雰囲気や空気感に「酔う」こともあるのではないでしょうか。


ふんわりした照明、ほどよいBGM、誰かの笑い声、背もたれの柔らかさ──そんな要素に身を預けているうちに、自然と自分の輪郭がゆるみ、他者との距離が“ちょうどいい”ところに落ち着いていく。


この“ちょうどよさ”は、じつは現代人にとってとても貴重な感覚です。常に気を張り、パフォーマンスを求められる日々の中で、他人と「安心して心を寄せ合える距離感」は、意識しないと見失ってしまうからです。


酔うという行為が、“誰かと一緒にゆるむ”という感覚を生んでくれる。そのこと自体が、少しだけ日常を優しくしてくれるような気がします。





第3章|“酔ってる人”が少し愛おしく見える理由



どこかで一度は、酔っ払った人を見て「なんだか、かわいらしいな」と思ったことがあるかもしれません。ふだんはしっかり者なのに急に甘えん坊になったり、普段なら絶対言わないような本音がぽろりとこぼれたり。そういう瞬間は、ただの笑い話以上に、その人の“素のやわらかさ”や“弱さを許す強さ”が垣間見えて、ちょっとだけ胸がじんとするような、不思議な感情を呼び起こします。


この章では、お酒を飲んだときに人が「愛おしく」見えてしまうその理由を、心と身体の変化、社会的な距離感、そして感情の解放という観点から、ゆるやかにひも解いていきます。




1|「素の顔」が見えると、ほっとする



ふだんは隙を見せないように、きちんとした言葉を選んで、礼儀正しくふるまう人が多いこの社会。だからこそ、たとえば職場の打ち上げや、久しぶりの友人との再会で、ふと見せた“酔い”の表情に、ギャップを感じて親しみが増すということがあります。


ちょっとろれつが回らなくなっていたり、声が大きくなっていたり、手振りがいつもより多くなっていたり。酔ったときの仕草には、抑制の外れた“その人らしさ”がぽろりとこぼれます。それは、完璧さよりもずっと、人間味のあるあたたかさです。


無防備でいること、格好悪さを見せること、それ自体が「信頼の証」でもあります。そんな瞬間に立ち会ったとき、私たちは自然とその人のことを“許せる存在”として受け止めたくなるのかもしれません。




2|「笑い」のスイッチが、軽くなる



お酒が入ると、何気ない会話でもやたらとおかしく感じたり、笑いの沸点がぐんと下がったりします。「ちょっと待ってそれ何!」と笑い転げるような場面も、あとで思い返すと大した話じゃなかったりするものです。


この“笑いの軽さ”こそが、酔いの魔法のひとつかもしれません。


アルコールがもたらすリラックス効果は、脳の前頭葉──つまり、理性を司る部分の活動をほんの少しだけ緩めてくれます。判断や抑制がゆるんで、感情の起伏が表に出やすくなるのです。


だからこそ、冗談やノリも受け止めやすくなって、場の空気がふわっとほぐれやすくなる。そうした“ゆるんだ空間”に身を置くと、周囲の人がみんな少しずつ「かわいらしく」見えてきてしまうのかもしれません。




3|「許される空気」が、心をほどく



面白いことに、酔っている人を見ると、私たちは“ツッコミ”や“フォロー”を自然に出しやすくなります。「えーそれ本気?」「ちょっと水飲もうか?」といった言葉が、普段よりスムーズに出てくる。


つまり酔っている人のまわりには、“許しの空気”が広がっているのです。


それは決してバカにするような感情ではなくて、「今この人は、弱くてもいい状態なんだ」と感じ取るからこそ生まれる優しさです。


自分が完璧でいなくていいように、相手も完璧でなくていい。そんな双方向の“ほどけた空気”が、心の緊張をゆるめてくれます。その場にいる全員のガードが少しずつ下がることで、人と人のあいだにある壁が、いつのまにか溶けてなくなるような、そんな感覚さえあります。




4|「感情の言語」が、届きやすくなる



酔った人の話す言葉には、時折、驚くほど素直な感情がのっています。


たとえば、ふだんならなかなか言えないような「ありがとう」とか、「寂しかったよ」とか、「ほんとはさ……」という言葉が、ぽつりとこぼれることがあります。こうした瞬間に立ち会うと、なんだか胸の奥がじんわりあたたかくなったりするものです。


もちろん、すべての酔った発言が“美しい本音”とは限りませんし、言わなくていいことまで口にしてしまう場合もあります。でも、だからこそ本音が垣間見えたときには、その言葉の温度がストレートに伝わってきます。


感情の輪郭が、普段よりはっきりと見える。その素直さが、愛おしく感じられる理由のひとつなのかもしれません。




5|“酔う”ことは、他者との「安心距離」をつくる行為



お酒が苦手な人にとっては、ここまでの話にピンとこない部分もあるかもしれません。でも、“酔い”とは必ずしもアルコールに限ったものではなく、たとえば雰囲気や空気感に「酔う」こともあるのではないでしょうか。


ふんわりした照明、ほどよいBGM、誰かの笑い声、背もたれの柔らかさ──そんな要素に身を預けているうちに、自然と自分の輪郭がゆるみ、他者との距離が“ちょうどいい”ところに落ち着いていく。


この“ちょうどよさ”は、じつは現代人にとってとても貴重な感覚です。常に気を張り、パフォーマンスを求められる日々の中で、他人と「安心して心を寄せ合える距離感」は、意識しないと見失ってしまうからです。


酔うという行為が、“誰かと一緒にゆるむ”という感覚を生んでくれる。そのこと自体が、少しだけ日常を優しくしてくれるような気がします。




まとめ|「酔うこと」は、“生きやすさ”のシミュレーション



私たちは、日々の暮らしのなかで、ふとした瞬間に緊張を抱えています。誰かと話すとき、自分を奮い立たせるとき、あるいは誰にも見られていないときでさえ、どこかで「ちゃんとしなきゃ」と力が入っているものです。


そんな心に、そっと手を差し伸べるように現れるのが「一杯のお酒」です。


お酒に含まれるアルコールは、化学的には「脳のブレーキ」を外す作用があると言われています。でもその前に、飲むという行為そのものが、ゆるしのサインなのかもしれません。


「今日はちょっとだけ、気を抜こう」

「誰かと話すのに、力まなくていい夜にしたい」

「もう少し、自分を愛してあげたい」


そんな気持ちが、自分の中に生まれたとき、人は「一杯」を手にとるのかもしれません。


もちろん、過剰に頼るのは健やかな習慣とは言えません。でも「酔う」という体験が、緊張をほぐし、素の自分を取り戻すきっかけになるならば、それは単なる嗜好品を超えた、心の小さなセーフティネットとも言えるでしょう。


お酒の場で生まれる笑い声や、深夜のくだらない話、肩の力が抜けた表情や、何度も交わされる「ありがとう」──それらはすべて、日常のストレスを一時的に和らげる、小さな奇跡です。


お酒は、問題を解決してくれる魔法ではありません。でも、人との距離を近づけたり、自分の弱さにやさしくなれたり、言葉にしにくかった感情に触れるヒントになったりします。


もし今夜、少しだけ心が疲れていたら。


“緊張をゆるめる一杯”が、あなたの心にとっての「やすらぎ」になりますように。





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