旅で、わたしに戻る。心と感覚を整える4つのやさしい時間
- 京都ほぐし堂WEB
- 5月19日
- 読了時間: 18分

「ああ、旅に出たいな」
そんなふうに思うときって、ありませんか?
ふだんの生活がとくに悪いわけじゃないし、忙しすぎるってほどでもない。
でも、なんだか気持ちがぱんぱんで、どこか遠くへ行って深呼吸したくなるような。
私自身、そんな気分になることがたびたびあります。
リラクゼーションサロンでお客さまのお話を伺っていても、
「気づいたら“旅に出たい病”になってました」と笑いながらおっしゃる方がけっこう多いんです。
話を聞いていると、心だけじゃなくて脳や体までもが「そろそろ違う空気を吸いたい」と
ささやいているように感じることがあります。
最近では、「脳も変化を欲しがる生き物」なんて言われることがあるそうです。
ずっと同じ景色やリズムのなかにいると、気づかないうちに心が鈍ってしまって、
やる気が出づらくなったり、ちょっとしたことにイライラしやすくなったりすることもあるみたいですね。
だからこそ、「旅に出たい」という気持ちは、
“リフレッシュしたい”という体や心からの自然なサインなのかもしれません。
それが遠くでも、近くでも、ほんのちょっとの非日常でも。
ふだんと違う空気にふれることで、心と体の呼吸がふっとゆるむ瞬間があるのでは?
このコラムでは、そんな“旅の癒し”について、
私たちサロンスタッフが日々感じていることや、
お客様との会話のなかで耳にした「旅っていいな」のエピソードなどもまじえながら、
やさしく掘り下げていけたらと思っています。
もし今、少しお疲れ気味の方がいたら、
「旅に出たいな」という気持ちに、そっと耳を傾けてみてもいいかもしれませんね。
── 非日常が脳をリセットする理由とは?
── 忘れていた“感じる力”を思い出す方法
── 今の気持ちにそっと気づくということ
── 本来の自分に還る、やさしいプロセス
── 日常に、小さな旅を。
第1章|脳は“いつもと違う”を喜ぶ生き物
「最近、なんとなく元気が出ないなぁ」「気持ちが晴れない日が続いてる気がする」 そんなふうに感じる方、きっと少なくないのではないでしょうか。
「特別何かがあったわけじゃないけど、なんだか調子が出なくて…」 この“なんとなく不調”の背景には、自律神経の乱れや、感覚の刺激不足、 そして“脳の飽和”が関係していることがあると考えられています。
■ 脳は、“変化”があると嬉しいみたい
脳は、安心できる日常のリズムを好む一方で、 “ちょっとした変化”にも敏感に反応するといわれています。
ずっと同じ環境で、同じ道を歩き、同じような出来事を繰り返していると、 脳の「新しさを感じる力」が鈍ってしまい、やる気が起きにくくなったり、 気分が沈みやすくなったりすることがあるようです。
このとき、関係しているのが「ドーパミン」という神経伝達物質。 ドーパミンは“快の感情”や“意欲”と深く関わっており、 新しい経験やワクワクするようなことがあると分泌が促されるそうです。
旅に出たとき、「急に気持ちが前向きになる」「視界がパッと開けたように感じる」 そんな体験がある方もいらっしゃるかもしれません。 それは、ドーパミンの活性化による影響があるのかもしれませんね。
■ 五感に届く「非日常」が、脳を整える
旅をしたあと、「気持ちがリセットされた感じがする」と感じるのは、 旅先で得られる“非日常の感覚”が脳に働きかけているからかもしれません。
たとえば── ・初めて見る風景の色合い ・その土地の香りや湿度 ・道ゆく人々の声や話し方 ・いつもと違う朝ごはんの味や香り ・少し違う枕や布団で迎える朝
こういった、五感への小さな変化の積み重ねが、 脳の“刺激を受け取るルート”をやさしくリセットしてくれるような感覚があります。
感覚がゆるんでいくと、呼吸も自然と深くなり、 副交感神経が優位になるサイクルが整いやすくなるという話もあります。
■ 決めることが多すぎると、脳も疲れるみたい
「今日はなに着よう?」「お昼はどうしよう?」 私たちは1日のうちに、たくさんの“小さな判断”をしています。
これを「決断疲れ(decision fatigue)」と呼ぶことがあるそうです。 判断が積み重なると、脳は少しずつエネルギーを消費していって、 集中力や思考力が落ちたり、気分が不安定になったりすることもあるといわれています。
旅に出ると、不思議と「決めなくていい時間」が増えます。 「迷ってもいい」「気ままに歩いてみよう」「お腹がすいたら、そのとき考えよう」 そんな“判断から自由な時間”が、脳の深い休息になっているのかもしれません。
■ 自然の音と1/fゆらぎのこと
風の音、葉のそよぎ、鳥のさえずり、川の流れ。 自然の中にある音には、“1/fゆらぎ”と呼ばれるリズムが含まれていることが多いようです。
このリズムは、私たちの心拍や呼吸のリズムと調和しやすく、 聴いていると自律神経が整いやすくなるとも言われています。
また、脳波にアルファ波(リラックス状態の波形)があらわれやすくなり、 結果として心と体の緊張がふわっとゆるむことにつながるとも。
自然にふれることの心地よさには、こうした脳や神経との深い関係があるようです。
■ 「遠くまで行かなくても、旅気分」はつくれる
忙しくてなかなか旅に出られないときでも、 日常のなかに“ちょっとした非日常”を取り入れてみるだけで、 脳に新しい風が吹くような感覚が生まれることがあるかもしれません。
・いつもと違う道を歩いてみる ・初めてのお店に立ち寄ってみる ・気になっていた香りを使ってみる
脳は、“少し違う”というだけでも刺激を受け取り、 いつもと違う思考や感情を呼び起こすことがあると言われています。
「少しだけ違うことをしてみる」 そんな感覚の変化が、今の自分に新しい風を運んできてくれるのかもしれませんね。
■ 旅ごころと“自分を整える”時間
は、リラックスするためだけでなく、 自分自身と向き合う“再スタート”のような時間になることもあります。
誰の役割も背負っていない「素の自分」でいられる時間。 新しい景色に触れながら、内側の声を静かに聞ける時間。 それは、思っている以上に大切な時間かもしれません。
“整う”ということは、「本来の自分に戻ること」なのかもしれない—— そう感じることがあります。
旅に出たくなるとき、それは「少しずつずれてきた自分」を、 やさしく元に戻してあげたいという、体と心からのメッセージなのかもしれません。
次章では、旅と同じように、 「感覚をゆるめること」がどう癒しにつながっていくのか。 触れる・香る・感じる——そんな“感覚のリトリート”について、 もう少し深くお話していきたいと思います。
どうぞ、引き続きゆっくり読んでいただけたら嬉しいです。
第2章|感覚を取り戻すリトリート──五感を解放するという癒し
旅をしているとき、不思議と「ちゃんと生きているなぁ」と感じる瞬間があります。
風のにおい、光のまぶしさ、地面の感触、どこかから聞こえてくる生活音。
そういったものが、ひとつひとつ「五感」に届いてきて、
普段ぼんやりしていた感覚がじんわり目を覚ましてくるような気がするのです。
日常のなかでは、必要な情報だけを拾って、不要な刺激を意識の外に追いやるクセがついています。
それは脳の自然な防御反応でもあるのですが、同時に、
「感じる」という力そのものが鈍ってしまっていることもあるのかもしれません。
たとえば、いつの間にか目の前の風景をきちんと見ていなかったり、
食事の味をしっかり味わっていなかったり、
香りや手ざわり、音の変化にも気づきにくくなっていることがあります。
「感じる力が落ちている」と言うと、少しおおげさに聞こえるかもしれませんが、
現代の私たちは、情報にふれる時間がとても多く、
身体の感覚よりも思考のほうを優先しやすい傾向があるようです。
ふと気づけば、「楽しい」「気持ちいい」「おいしい」という感覚すら、
どこか後回しにしてしまっていた…ということ、ないでしょうか。
では、そんな「感覚を取り戻す」には、どうしたらいいのでしょうか?
そこで意識したいのが、「五感ひとつひとつに意識を向ける」ということです。
感覚は、意識を向けたとたんに、すっと立ち上がってくることがあります。
たとえば、朝の光のあたたかさを手の甲で感じてみる。
歩くときに足の裏が地面をとらえる感触に気づいてみる。
コーヒーの湯気にふくまれた香ばしさに、ふっと気を向けてみる。
ほんの一瞬でも、自分の「感じているもの」に気づいたとき、
それはリトリート(意識的な休息)としての第一歩になるのかもしれません。
何かを特別にしようとしなくても、
「五感をふわっとひらいてみる」——
それだけで、体と心に空気が入ってくるような、そんな感覚を覚えることがあります。
ときには、スマートフォンやイヤホンから少し離れて、
静かな空間に身を置いてみることもおすすめです。
ほんの数分でも、外からの情報を減らすだけで、
自分の内側に流れているものが浮かび上がってくる瞬間があるかもしれません。
とくに五感のなかでも、現代人が「疲れ」に気づきにくくなっているのが「聴覚」と「触覚」だと感じています。
聴覚は、耳に入ってくる音を一度フィルターにかけて、脳が選別して処理しています。
街のざわめき、会話、通知音、テレビや音楽、SNS動画の音。
これらが絶えず流れ込むなかで、本当に心地よい音が埋もれてしまっているのではないでしょうか。
静けさに身を置いたとき、ようやく「うるさかったんだな」と気づくこともありますよね。
自然の中で感じる「音の少なさ」が、むしろ“音”として耳に届いてくるあの感覚。
それだけで、脳や神経がやさしくほどけていく気がするという声もよく聞きます。
また、触覚も同じです。
忙しい日々では、自分が“触れているもの”に意識が向きづらくなります。
椅子の座り心地や衣類の肌ざわり、風のあたり方、手で包んだ湯呑のぬくもり。
こういった触覚の刺激もまた、リラックスや安心感を支えてくれているはずなのに、
あまりにも日常に溶け込んでいて、気づかないまま通り過ぎてしまうことが多いのかもしれません。
そして実は、触覚には「境界感覚」とも呼ばれる働きがあります。
それは、自分と外の世界をわける“輪郭”を感じ取る力のことで、
この境界が曖昧になっていると、人はストレスを受けやすくなるそうです。
やわらかい布に包まれたり、ぬるめのお湯に浸かったりすることが
心にまで影響を与えるのは、こういった理由があるのかもしれません。
五感はすべて「今ここ」に引き戻してくれる感覚でもあります。
過去を思い悩んでいたり、未来の不安にとらわれているとき、
それに気づかせてくれるのが、体に備わっている感覚たちです。
たとえば、外を歩いているとき、地面の起伏に足が反応すると、
「今、ここを歩いているんだ」と無意識に実感することがあります。
風のにおいにふっと気づいたときも、
「今、春が来ているんだな」と気づけたりしますよね。
感覚は、思考をほどく手がかりをくれるようです。
だからこそ、五感を「働かせる」のではなく、「感じる」ことに意識を置く——
そのゆるやかな姿勢が、深い癒しへとつながっていくのかもしれません。
最後に、日常のなかで感覚をやさしくひらいていくための、
ささやかな習慣のアイデアをいくつか挙げてみたいと思います。
・食事のとき、ひとくちごとに「香り」「食感」「音」に意識を向けてみる
・お気に入りの布にそっと触れる時間をつくる
・湯船にゆっくり浸かりながら、肌で感じる温度の変化に集中してみる
・夜の静けさに耳を澄ませて、「音のない時間」を味わう
・朝、窓を開けて深呼吸し、空気のにおいや風の感触に意識を向けてみる
こうした時間は、ほんの数秒でも効果があるといわれています。
感覚を解放するということは、外の世界にただ反応するだけでなく、
「自分の内側にある、自然なバランスを取り戻す」ということでもあるのかもしれません。
そしてそれは、日々の小さな選択やふるまいに、
自分の“心地よさ”という軸を取り戻していくプロセスでもあるのではないでしょうか。
次章では、「五感と感情のつながり」や、
「感覚を取り戻すことで、心にどんな変化が起こるのか」について、
もう少し深く触れてみたいと思います。
どうぞ、引き続きゆったりとお読みいただけたらうれしいです。
第3章|「こころの静けさ」を取り戻す時間──感情と感覚の再接続
「自分の気持ちがよくわからない」 そんなふうに感じる日がありませんか?
うれしいはずの出来事なのに、なんだか空っぽ。 悲しいわけじゃないけど、胸のあたりがもやもやする。 そういった感覚に心あたりがある方も、きっと少なくないのではないでしょうか。
感情というのは本来、私たちの中から自然に生まれてくる“こころの動き”ですが、 忙しさやストレス、情報の多さのなかでは、その動きが見えにくくなることがあるようです。
たとえば、一日が終わるころ、「なんだか疲れた」と感じているのに、 その疲れの理由が自分でもわからないこと、ありませんか?
それは、感情の変化に気づく前に、脳や身体が反応してしまっているからかもしれません。
感情というのは、「気づいてもらうこと」をとても大切にしているように思います。
たとえば、無意識のうちにため息が増えていたり、 普段なら気にならないことにイライラしてしまったり。 そういうときって、実はこころの奥で何かが揺れているサインなのかもしれません。
でも私たちは、忙しい日々のなかで「その気持ちにちゃんと気づく」時間を持ちづらくなっています。 そして、気づかれなかった感情は、どこへ行くのかというと、 身体の不調や慢性的な疲れとして表に出てくることもあるそうです。
だからこそ、ほんの数分でも、「今、自分はどう感じているんだろう?」と立ち止まる。 そのこと自体が、こころを整える小さな習慣になるのかもしれません。
ここで大切なのは、「無理にポジティブになろうとしないこと」です。
「元気を出さなきゃ」「前向きに考えなきゃ」と思えば思うほど、 かえって今の自分から遠ざかってしまうこともあります。
大切なのは、そのとき感じている気持ちに、そっとスペースをあけてあげること。 言葉にしなくてもいいから、「そんなふうに思ってるんだね」と、 自分の内側に静かに耳を澄ませてみること。
たとえば、湯船に浸かって「今日いちにち、なんとなく落ち込んでたな」と思ったら、 「うん、それだけがんばってたんだね」と心の中で声をかけてみる。
そうやって、ただ“そこにある気持ち”を認めるだけで、 ふっと呼吸が深くなる瞬間があるかもしれません。
感情は、思考で整理しようとすると、かえって複雑にからまってしまうことがあります。 でも、感覚を通して感じようとすると、もう少し素直に近づけることもあるようです。
たとえば、「胸がぎゅっとする感じがする」とか、「なんとなく涙が出そう」とか、 そういった身体の反応を手がかりに、「今、自分はこう感じているんだ」と気づく。
感情と感覚は、きっととても深くつながっているのだと思います。 だから、感情に向き合うためには、まずは身体の感覚に寄り添うこと。 それが、こころの静けさにつながる近道なのかもしれません。
最後に、感情と向き合うための、ささやかな習慣のヒントをいくつかご紹介します。
・朝起きたとき、「今日はどんな気分かな」と問いかけてみる ・日記に「今日感じたこと」を一行だけでも書いてみる ・疲れているときは、理由を探さず「そう感じてるんだな」と受けとめてみる ・お気に入りの音楽や香りを通して、自分の気持ちの輪郭を感じてみる
どれも、特別なことではありません。 でもこうした習慣が、自分の感情を置き去りにせずに、 やさしく隣に置いておくような感覚を育ててくれるように思います。
「こころの静けさ」とは、感情がまったく動かない状態ではなく、 自分の気持ちの揺れを「静かに見守れている状態」なのかもしれません。
無理に整理しなくても、判断しなくてもいい。 今感じていることに、ただ気づいていられる。 そのことが、深い安らぎにつながるのではないでしょうか。
次章では、そんな「こころの静けさ」がもたらす変化について、 もう少しだけ深く掘り下げてみたいと思います。
第4章|整うということ──旅のあとに、私に戻る時間
旅を終えて日常に戻ったとき、ふと感じることがあります。 「なんだか、少し軽くなっているな」 「前より、自分とちゃんとつながっている気がする」 そんな感覚が、じんわりと胸の奥に広がる瞬間。
これまでの章で、脳のリセットや五感の回復、感情との再会について触れてきましたが、 それらすべてを経て、たどりつく場所が「整う」という状態なのではないかと思います。
「整う」とは、がんばって手に入れるものではなくて、 緊張や混乱が少しずつほどけて、呼吸が楽になり、 自分の“芯”のようなものに、すとんと戻ってくる感じ。
それはまるで、どこか遠くに出かけていた心が、ようやく帰ってきてくれたような、 そんな静かな安心感に包まれる時間です。
整う、という感覚は人それぞれ違います。
ある人にとっては、朝起きたときの目覚めのすっきり感かもしれません。 ある人にとっては、湯船に浸かって「ふぅ…」と息を吐くひとときかもしれません。 またある人にとっては、言葉にしなくても、心が穏やかでいることそのものかもしれません。
でも共通しているのは、「がんばらずに、そのままでいい」と思えること。 何かを達成したときの高揚感とは違う、 どちらかというと、もともと持っていた“感覚を思い出す”ような安心感。
整うとは、外側に何かを求めることではなく、 内側にそっと戻っていくような動きなのかもしれませんね。
旅という体験が、なぜ「整う」きっかけになるのかを考えてみたことがあります。
ひとつは、「今ここ」に戻ることが自然にできるから。 旅先では、知らない景色や空気に触れることで、意識が過去や未来ではなく「今」に向かいます。 その瞬間の心地よさや違和感に、身体や感覚が反応することで、 思考から解放され、自分の“芯”に近づいていく時間が生まれるのかもしれません。
また、旅は「自分の輪郭」をはっきりさせてくれる時間でもあります。 慣れない環境や初めての人との出会いは、 逆に「自分はこういうことが好きなんだな」「これは苦手だな」と気づかせてくれる機会にもなる。
日常ではぼやけていた「自分の感覚」が、旅のなかでくっきり浮かび上がる。 そして、それに正直になれる時間こそが、 “自分を整える”ためにとても大事なプロセスなのだと思います。
整ったあとの自分は、不思議と“力み”が抜けていることが多いです。 やるべきことは変わらないのに、気持ちが淡々としていたり、 周りの言葉や空気に揺さぶられにくくなっていたり。
それは、「外に合わせる」ことから「内に合わせる」ことにシフトしているからなのかもしれません。 自分が心地よくいられるリズムに、自然と戻ってきたような感覚。
整った状態では、感情も無理に抑えようとしないし、 いい意味で“揺れてもいい”と思える余裕が生まれます。 緊張と緩みのバランスが取れていて、 その人本来の呼吸や姿勢で、日常と向き合っていけるようになるのかもしれません。
旅というのは、決して特別な場所や遠い国に行くことだけではありません。 日常のなかでも、「整える旅」はできるのだと思います。
・朝の散歩で空の広さを感じること ・季節の変わり目に、香りや服を変えてみること ・お気に入りの音楽や本に身をゆだねて過ごす時間 ・スマホを手放して、ただぼーっとすること
こうしたささやかな時間でも、 自分とちゃんとつながっている感覚がよみがえってくることがあります。
整うというのは、外に逃げることではなく、 「自分の居場所を、自分の内側にもう一度つくること」なのかもしれません。
旅のあと、ゆっくりと日常に戻るとき。 ちょっとだけ変わったものがあるとすれば、それは“世界”ではなく“自分”のほうかもしれません。
見慣れた風景が少しだけやさしく見える。 やるべきことが、少しだけ軽く感じられる。 人とのやりとりに、少しだけ余裕を持てる。
そんな変化が、じんわりと、でも確かに残っていることがあります。
そのとき、「ああ、自分はちゃんと整ったんだな」と思えるのです。
このコラムの最後に、あらためてこう思います。
旅というのは、非日常を味わうことでもあるけれど、 本当は「日常の自分を、もっと心地よくするための時間」なのかもしれません。
整った自分で、またここから暮らしをはじめる。 それだけで、日常はぐっとやわらかくなる気がします。
次に旅に出たくなったときは、 それはきっと「そろそろ整えたいな」という、自分からの合図なのかもしれませんね。
おわりに|旅は、整えるためのやさしい時間
私たちは毎日、たくさんの情報に触れ、
あわただしいリズムの中で「感じること」を後回しにしがちです。
でも、ほんの少しだけ日常を離れてみると、
脳が休まり、五感がひらき、心が自分に戻ってくる感覚に出会うことがあります。
それは決して、遠くに行かないと得られないものではなくて、
散歩の途中に見上げた空や、湯船で吐いたひと息にも、
小さな“旅”は潜んでいるのかもしれません。
このコラムでは、「旅」という体験を通して──
脳のリセット、感覚の回復、感情との再会、そして「整う」というプロセスをたどってきました。
それはまるで、心と体をふたたび“今”に戻してくれるやさしい旅。
忙しい日々のなかでも、ふと立ち止まって、
「いま、どう感じてる?」と自分に問いかけることができたなら、
それだけで、静かな“整い”の入り口に立てるのかもしれません。
また旅に出たくなったら、それは心が整いを求めているサイン。
自分を大切にする時間を、どうかこれからも見つけてあげられますように。
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