「見えないストレスを、泡がそっとすくってくれる。」
- 京都ほぐし堂WEB
- 7月15日
- 読了時間: 21分
更新日:7月21日

ああ、泡ってやさしい。
なんとなく気分が重い日、
理由もないのに心がざわつく夜。
そんなとき、湯船に浮かぶ泡をぼんやり見つめていると、
いつのまにか気持ちがふっと軽くなることがあります。
泡は、何かを語るわけでもなく、
ただ静かに、目の前で生まれては消えていく。
でもその姿には、
言葉にならない癒しの力があるような気がするのです。
このコラムでは、
そんな「泡がくれる静かな癒し」に、あらためて目を向けてみました。
泡を見ると落ち着くのは、なぜなのか
シャボン玉や炭酸水、泡風呂といった日常の中の“泡的時間”が心に与える影響
日本人の美意識や文化の中にある“泡”とのつながり
そうした視点から、
“泡と心の関係”を、五感と感性の両面でほどいていきます。
目には見えないストレスに、泡がそっと寄り添ってくれるように。
このコラムが、あなたの「静かな癒しの処方箋」になれたら嬉しいです。
目次
第1章|泡を見ていると、なぜ落ち着くのか?
泡って、どうしてこんなに心が落ち着くんだろう── そう思ったことはありませんか?
お風呂に浮かぶ細かな泡、グラスの中でシュワシュワと立ちのぼる炭酸の粒、あるいは陽の光を受けて空に舞うシャボン玉。 ただそれを「眺めているだけ」で、不思議と心が静かになってくる感覚があります。
言葉も要らず、何かを考えるわけでもなく、ただじっと見つめる。 そうしているうちに、頭の中のざわざわや、モヤモヤとした思考が、少しずつ静まっていく──そんな体験がある方も多いのではないでしょうか。
この章では、そんな「泡」の癒しの正体について、視覚心理学や脳波の観点から探っていきます。
■ 泡がくれる“静かなリズム”
まず注目したいのは、泡が持つ“リズム”です。
グラスの中で絶え間なく上昇する炭酸の泡、シャワーを流したときに湧き上がる無数の小さな泡、お風呂に浮かぶ大きな泡が時間とともにしぼんでいく様子── これらにはすべて、「一定ではないけれど、どこか心地よい」リズムがあります。
この不規則だけれど落ち着く動きのことを、心理学では「1/fゆらぎ(エフぶんのいちゆらぎ)」と呼びます。 小川のせせらぎ、木の葉の揺れ、ろうそくの炎のゆらめきなど、自然界に存在する多くのものがこの「1/fゆらぎ」のリズムを持っており、脳波をα波(リラックス状態)に導く働きがあるとされています。
泡の動きも、まさにこの「1/fゆらぎ」に近いとされていて、ただ見つめているだけでも心がゆるんでくるのです。
■ 視覚が脳に与える「安心信号」
私たちが“何かを見ている”とき、実は脳はとてもたくさんの情報を処理しています。 人の顔、景色、物の動き、光の強さ、色の違い──そうした膨大な視覚情報のなかで、脳が「安心できる」と判断するものがあります。
泡のように、規則的でもなく、不規則すぎるわけでもないやさしい動き。 白っぽくて淡い色合い、柔らかくて軽そうな質感。 こうした特徴は、「脅威がない」「変化が激しくない」「見続けていても疲れない」という条件に合致します。
実際、泡を見つめているとき、脳波はリラックスモード(α波)が優位になってくるという実験結果もあります。
■ マインドフルネスとの共通点
「マインドフルネス」とは、“今ここ”に意識を集中させることで、心の波を穏やかにする心理的トレーニング法です。
呼吸に意識を向ける、五感に注意を向ける、雑念を手放す。 そういった方法が知られていますが、実は「泡を見つめること」も、マインドフルネスの実践に近い行為だといえます。
なぜなら、泡を見つめているあいだは、過去や未来のことを考える余地があまりなく、自然と「今この瞬間」に意識が向いているからです。
泡はつかもうとすれば消えるし、見逃せばもう二度と同じ形には出会えない。 だからこそ、ただ“そこにある泡”に集中すること自体が、深いリラックスを生んでいるのです。
■ 子どものころの記憶と結びつく癒し
泡を見ていて落ち着く理由のひとつに、「幼い頃の記憶と結びついているから」という心理的な背景もあります。
たとえば──
・お風呂場で石けんを泡立てて遊んだ記憶 ・シャボン玉を追いかけて走った休日の午後 ・夏に飲んだ炭酸ジュースの清涼感
こうした感覚記憶は、五感と強く結びついているため、大人になってからもふとしたきっかけで蘇ります。
そしてそれは、多くの場合「安心」や「楽しさ」といったポジティブな感情を伴っているものです。
つまり泡を見ることで、無意識のうちに「懐かしい」「安心できる」感情が呼び起こされ、それが癒しの感覚として表れているということもあるのです。
■ 泡の動きを“観察する”だけで心が整う
実際に試してみてほしいのですが、 たとえば、炭酸水をグラスに注いだときに立ちのぼる泡。 あれを、ただぼんやりと、意識して眺めてみてください。
1分、2分もすれば、呼吸が深くなってくるのがわかるはずです。
このように、泡というのは“何かをしなくても、そこにあるだけで心を整えてくれる存在”ともいえるのです。
■ 日常に「泡を見つめる時間」を取り入れてみる
忙しさに追われて、心が落ち着かないと感じるとき。 短時間でもかまいません。ぜひ、「泡を見つめる」時間をつくってみてください。
・炭酸水やビールを注いだグラスを、数分だけじっと見つめる ・お風呂で、泡が浮いては消えていくのを眺める ・子どもと一緒にシャボン玉を吹いてみる
たったこれだけのことでも、脳と心はゆっくりとリセットされていきます。
■ 泡は“思考を止めるスイッチ”になる
私たちの頭の中は、想像以上に忙しいものです。 未来のことを不安に思ったり、過去の失敗を何度も思い出したり。
そんな思考のループからいったん抜け出すためには、 「何かに集中する」ことがとても有効です。
でも、仕事でもなく、読書でもなく、何かに“自然に集中できる”ことって、なかなか見つかりません。
そこで「泡」の出番なのです。
泡を見ていると、不思議と“無”に近い状態になれる。 それは、思考の渦に飲み込まれた脳をやさしく引き戻してくれる、静かなスイッチのような存在です。
── 第1章のまとめ
泡は、見るだけで癒される。 それには、視覚が脳に与える“安心信号”や、1/fゆらぎのリズム、マインドフルネス的な集中状態、そして過去のポジティブな記憶が影響しています。
つまり泡というのは、ただの空気と水のかたまりではなく、私たちの心と体に静かに作用する「癒しのメディア」なのです。
次章では、そんな泡の象徴的な存在である“シャボン玉”について、 空に浮かぶ球体に込められた「やさしさ」と「孤独」の意味を探っていきます。
第2章|手のひらの小さな宇宙──シャボン玉の魔法
空に浮かぶ球体に見える、やさしさと孤独の象徴
子どものころ、シャボン玉をふいて遊んだ記憶はありますか?
陽の光を反射して、虹色に輝きながら空に舞い上がり、ふわりと風に乗って漂っていく…
そして、ふとした瞬間に、音もなく消えてしまう。
そんなシャボン玉を見ていると、不思議と心がすっと落ち着くことがあります。
この章では、「シャボン玉」という泡のかたちが、なぜ人の心を癒すのか──
その背景にある心理や感覚、そして少しだけ哲学的な要素まで、静かに探っていきたいと思います。
■ なぜ人は、シャボン玉を「美しい」と感じるのか?
まずは視覚的な魅力から。
シャボン玉には、一定のかたちを持ちつつも、常に揺れ、変化し続ける「不安定さ」があります。
完全な球体に近いそのフォルムと、虹のような表面の干渉色。これらは人の脳にとって「ずっと見ていたくなる」刺激になります。
これは、視覚心理学でいう「一時的な意識の集中」とも関係があるようです。
つまり、シャボン玉を見つめているあいだ、私たちは他の情報をシャットアウトして、
「いま・ここ」の感覚に集中できる。
それが、瞑想やマインドフルネスと似た状態をつくってくれるのです。
■ 空に浮かぶ「自由」と、いつか消える「切なさ」
シャボン玉は、吹き出した瞬間から「いつかは消える存在」です。
そのはかなさが、私たちの心の深い部分を静かに揺さぶります。
ただ、消えていくことが悲しいわけではありません。
「どうなるかわからない」という不確実性こそが、どこか心地いい。
浮遊している時間も、消える瞬間も、どちらも美しいと感じられる──
それは人が、「コントロールできないもの」を前にしたときに感じる、ある種の“安心”かもしれません。
ずっと残るわけではない。
でも、今ここに確かにある。
それが、シャボン玉に宿る「やさしい孤独感」と「自由」の象徴です。
■ 手のひらサイズの宇宙
シャボン玉の中をじっと見つめると、小さな景色が映り込んでいることがあります。
まるで、ひとつの宇宙を閉じ込めたような感覚。
その一瞬、私たちは「大きな世界」と切り離されて、「目の前の小さな存在」と向き合っている。
その時間は、誰にも邪魔されない、自分だけの「余白」のようなものです。
実際、忙しい日常の中で、こうした“ゆっくりと何かを見つめる時間”はとても貴重です。
そしてそれが、泡という“儚いもの”だからこそ、心に染みやすいのかもしれません。
■ 子どもの遊びが、大人の癒しに変わるとき
シャボン玉といえば、子どもの遊びというイメージが強いですよね。
でも最近では、大人向けのシャボン玉イベントや、SNSでも「バブルアート」などが人気を集めています。
泡の中に灯りを入れたり、ゆっくり音楽を流しながらシャボン玉を見つめる──
そういう「大人の癒しアイテム」としてのシャボン玉も、増えてきているようです。
つまり、子どものころの感覚に少しだけ戻ること。
そして、それを“大人の感性”で味わい直すことが、心のリフレッシュにつながっているのです。
■ 第2章のまとめ
シャボン玉は、ただの泡ではありません。
それは、「やわらかくて、自由で、消えてしまう」ものの象徴。
でもだからこそ、人はそこに癒しを感じるのかもしれません。
いま、目の前にあるけれど、いつかは消えてしまう。
でもそのことに抗わず、ただ見つめる。
そんなやさしい時間が、心の奥にある「静けさ」を呼び戻してくれるのです。
次の章では、バスタイムにおける「泡」の体験──
五感を通じて心と体をリセットする、その具体的な心理作用についてご紹介していきます。
第3章|“癒し”としての泡風呂とその心理作用
皮膚感覚、浮遊感、音、香り──五感のリセット体験
一日の終わり、バスタブにたっぷりお湯を張り、そこに泡を浮かべて身を沈める。
湯気とともにやわらかな泡に包まれるあの時間に、言葉にならない安心感を覚える人も多いのではないでしょうか。
この章では、泡風呂という“五感に触れる癒し”が、なぜここまで人の心と体をゆるめるのか──
皮膚感覚、浮遊感、音や香りといった感覚刺激の面から、丁寧に紐解いていきます。
■ 「触れているのに、触れていない」やさしい皮膚感覚
泡風呂の泡は、手のひらに触れるとすぐにしぼんでしまうような、やわらかくて軽やかな存在。
この“非接触に近い接触感”こそが、現代人にとって安心感を与えるひとつの要素です。
人の皮膚は、直接的な刺激には反応しやすく、防御のために緊張が生まれます。
でも泡のように、ふわっとやわらかく包まれる感覚は、
「安全だよ」「緊張しなくていいよ」と、脳にリラックスの信号を送ってくれるのです。
また、誰かにやさしく撫でられたときのような心地よさ──
それを泡が“代わりに”演出してくれている、と言えるかもしれません。
■ 湯に浮くような“半無重力”状態がくれる心の余白
泡風呂では、泡が浮力を支えてくれるため、普通のお風呂よりも体が軽く感じられます。
その状態は、いわば「半無重力」──体を支える力が軽減され、筋肉や関節がふわっとゆるむ。
この「浮いている感覚」は、脳にも影響します。
緊張感を司る交感神経が抑えられ、リラックスをもたらす副交感神経が優位になるのです。
“地に足をつけていない”状態は、本来なら不安定なはずですが、
泡の中ではそれが“安心”に変わる──それが、バブルバス特有の癒しの正体のひとつなのです。
■ 静かな音が心に効く──“シュワシュワ”の心理効果
泡風呂に耳をすますと、かすかな「シュワ…」という音が聞こえることがあります。
これは炭酸が溶けていくときの音や、泡がはじける音。
この繊細でやわらかな音は、“ノイズではない音”として脳が心地よく感じるものです。
ちょうど、雨音や小川のせせらぎが「ヒーリング音」として使われるのと似ています。
しかもこの音は“消えていく音”。
聞こえたと思った次の瞬間には、もう耳をすり抜けていく──
だからこそ、意識が自然と「今この瞬間」に向かいやすくなるのです。
■ 香りと泡のコンビネーションがもたらす、深い安心
泡風呂には、エッセンシャルオイルや香料が含まれていることもありますよね。
ラベンダー、カモミール、ベルガモットなどのリラックス系アロマは、嗅覚から心をゆるめてくれます。
そしてこの“香り”が、泡という視覚・触覚と結びつくことで、
脳にとって「五感の統合」が起こります。
これは「感覚統合」と呼ばれる働きで、
複数の感覚が同時に心地よい刺激を与えることで、より深い癒しの状態が生まれるのです。
■ 泡で“見えなくなること”が、実はリラックスに
泡風呂に入ると、身体の表面が泡で覆われ、視覚的に“体が隠れる”状態になります。
この“見えなくなること”が、実は安心感につながることも。
視線が気になる、ボディイメージに不安がある──
そんな人にとっては、泡が“やわらかい布”のような役割を果たし、
自分を安心して開放できる空間に変えてくれるのです。
■ 第3章のまとめ
泡風呂は、視覚・触覚・聴覚・嗅覚、そして体の浮遊感という五感すべてを使って、
私たちの心と体をゆるめてくれる“全感覚型のリセット体験”。
とくに、**「何かをしなくていい」「ただ感じればいい」**という泡の性質は、
忙しい日常の中で“何かを頑張ること”に疲れた私たちにとって、やさしい救いになります。
次章では、泡と香りが織りなす「記憶」や「感情」のつながり──
アロマとバブルの合わせ技による、深い癒しの世界をたどっていきましょう。
第4章|ビール・炭酸水・泡立ちのある食文化の快楽
── 飲食における泡と「一瞬のリセット効果」
乾いた心と体に、最初のひとくちが沁みる理由
たとえば、仕事終わりにグラスに注がれるビール。
その表面にふわりと立ちのぼる泡を見つめているだけで、少しずつ肩の力が抜けていくような気がしませんか?
口にする前から、もう“癒し”が始まっている。
シュワッという音、泡が弾けるリズム、ひんやりとした感触。
泡のある飲みものや食べものは、なぜあんなにも人の心と体を緩ませるのでしょうか?
この章では、「食文化における泡の快楽」について、感覚・記憶・科学的視点からゆっくりと紐解いていきます。
「泡」は、五感で味わうリセットボタン
泡立つものを口にするとき、私たちは自然と五感を総動員しています。
視覚:きらめく気泡、グラスの縁にまとわりつく白い泡。
聴覚:炭酸が弾ける音、注がれるときの“トクトク”という心地よい響き。
触覚:のどごしに感じる心地よい刺激や、泡が舌先で溶ける繊細な感触。
嗅覚・味覚:口に含んだ瞬間に広がる香りと、少しの苦味や酸味。
これらすべてが、“今ここ”の感覚に私たちを引き戻してくれます。
つまり、泡のある飲みものは、五感で「現在」を感じるためのスイッチになっているのかもしれません。
炭酸の刺激が「気持ちの切り替え」に効く理由
炭酸のシュワッとした刺激には、単なる味覚以上の働きがあります。
実際に、炭酸を摂取すると一時的に交感神経が活性化し、脳が「シャキッ」としたような感覚になります。
これはちょうど、朝の炭酸水や午後の炭酸飲料が“目覚まし”のように作用する理由のひとつです。
一方で、同じ泡でもお風呂や泡風呂は副交感神経を優位にしてリラックスを促します。
つまり「泡」は、その状況や形を変えることで、私たちを「活性」も「鎮静」もさせてくれる存在なのです。
泡は“軽やかな非日常”の象徴
泡のある飲みものは、どこか特別な気分をもたらしてくれます。
・レストランで出されるシャンパン
・休日の午後にゆったりと味わうクラフトビール
・旅行先で出会うご当地サイダーや炭酸水
こうした場面では、泡は「今、この瞬間を楽しんでいいんだ」と伝えてくれる合図になります。
“泡のある食文化”は、日常のなかに小さな祝祭感を持ち込んでくれるのです。
和菓子の中にも「泡」を感じる?
意外に思われるかもしれませんが、和菓子の世界にも「泡」のような存在があります。
たとえば、
「ういろう」や「わらび餅」のやわらかく淡い質感
「あわ雪羹(あわゆきかん)」という、空気を含んだふわふわの蒸し菓子
点てた抹茶に浮かぶ、きめ細かな泡
どれも、見た目や口当たりに“軽さ”と“はかなさ”をまとっています。
それが、味覚だけでなく感情にまでそっと届いてくるように感じるのは、
日本人の「儚さの美」を愛でる感性と、泡のイメージがどこか重なるからかもしれません。
泡は、食卓に生まれる“感情の余白”
泡のある食べ物や飲み物は、単に「味をおいしくする」だけではありません。
その場に、会話や空気の“間”をつくってくれます。
たとえば、
ビールの泡が落ち着くのを待つ時間
グラスをかたむけたときの微かなシュワシュワ音
パンケーキの上にのせた泡立てたクリームが、少しずつとけていく瞬間
こうした「泡の時間」には、無理に会話をせずとも空気が和らぐような、
ちょっとした“癒しの余白”が生まれるのです。
「一瞬の快楽」にこそ、人は癒される
泡のある飲み物や食べ物に共通するのは、**“長くは続かない快楽”**です。
冷たさが消えないうちに、炭酸が抜けきる前に、その一口を楽しむ。
それは、瞬間の喜びに気づくためのリハビリのようなものかもしれません。
忙しい毎日のなかで、気づけば目の前のことが“通過点”になってしまいがち。
でも泡のある時間は、「いまここ」を味わうために、そっと立ち止まらせてくれる。
それこそが、泡の「一瞬のリセット効果」なのです。
第4章まとめ|“食べる泡”がくれる、心のゆとり
泡は、飲みものや食べものにふわっと加わるだけで、
場の空気を変え、感情を軽くしてくれる存在です。
・日常の中で、少し背筋をのばして味わうひととき
・会話に沈黙が生まれても気まずくならない空気感
・泡が消える、その瞬間までの美しさ
泡は「味」ではなく「体験」を添えてくれるのです。
次章では、さらにこの“消えていく泡”が、日本人の感性とどのように深く結びついているのかを探っていきます。
第5章|日本人の美意識と“無常観”のなかの泡
── 浮世絵、茶道、俳句にも通じる“消えていくもの”の美
「すぐに消えるもの」に、美しさを感じる感性
桜の花が咲いて、あっという間に散ってしまう──
その短さに、私たちはなぜか心を動かされます。
紅葉も、月も、雪も、同じ。
永遠に続かないからこそ、「今だけ」の美しさに気づく。
こうした感性は、昔から日本人の中に深く根づいています。
そして、泡も同じ。
生まれては消える、ふわりとした姿に、
どこか心がなごみ、ふっと肩の力が抜けるような感覚になるのは、
「無常」という美意識と深くつながっているからかもしれません。
浮世絵が描いた「一瞬」のきらめき
江戸時代に親しまれた浮世絵は、
まさに“今”という一瞬を切り取る芸術です。
雨に濡れる傘、雪の舞う町並み、風に揺れる着物の裾──
どれも、時が流れればすぐに消えてしまう情景。
でもだからこそ、絵の中でとどめておきたくなる。
“泡のように消えていく時間”の中に、美しさを見出そうとする。
そんなまなざしが、浮世絵の中には息づいているように思えます。
茶道に流れる「一期一会」と泡の感覚
茶道には、「一期一会(いちごいちえ)」という言葉があります。
「このひとときは、二度と同じようには訪れない」
だからこそ、丁寧に、おだやかに味わおうという教えです。
お茶を点てると、表面にふわりと泡が立ちますよね。
その泡もまた、時間が経つと自然にしぼんでいく。
この“短い命の泡”に向き合いながら、
お茶を味わい、空気を感じ、言葉を交わす。
そんな丁寧な時間に、泡の感覚が自然と溶け込んでいるのです。
俳句と「消えるもの」に向けるまなざし
俳句は、五・七・五のわずか17音で季節や感情を描きます。
その中には、「消えていくもの」を詠んだ作品がたくさんあります。
たとえば、
春の泡 手にすくっては また消えて
消えゆくに やすらぎありし 泡の音
こうした句の中には、
“長く残るもの”ではなく、
“すぐに消えるもの”にこそ、心を寄せる姿勢が表れています。
泡もまた、ほんの数秒のきらめきを見せて、静かに姿を消す。
その“短さ”が、私たちの中のやさしい部分を揺さぶってくれるのです。
「無常観」が教えてくれる癒しのヒント
「無常(むじょう)」とは、すべてのものが移り変わるという考え方。
仏教の中で大切にされてきたこの感覚は、
「つらいことも、いずれ過ぎる」
「今あるものも、いつか変わっていく」
という、やさしい希望でもあります。
泡が目の前でふっと消えるとき、
私たちの心は「今だけ」の静けさに気づく。
そしてその静けさが、「大丈夫」と思える余裕を生んでくれる。
この癒しの感覚は、無常観とつながっているのではないでしょうか。
現代にこそ必要な「消えていく美」
SNSも、情報も、スケジュールも、
現代社会は“残すこと”や“記録すること”にあふれています。
でも、たまには“消えていくもの”に目を向けることも、
心にとって大切な時間かもしれません。
泡は、
跡を残さず
誰にも迷惑をかけず
ただ、そこにあって、消えていく
そんな存在です。
そしてその姿に、私たちは「安心」や「やさしさ」を感じる。
それは、昔から日本人が大切にしてきた「美しさ」と、
今を生きる私たちの「癒し」が、そっと重なる瞬間なのかもしれません。
第5章まとめ|“泡=消えていくもの”がくれる癒しのかたち
浮世絵の一瞬、茶の湯の静けさ、俳句の17音──
日本文化に流れる「無常」の感性は、
すべて「泡」とつながっています。
それは、「続かない」ことを否定するのではなく、
「今ここ」に意識を向けて、やさしく味わう時間。
そんなふうに、
“泡”という儚くも美しい存在が、
私たちの心に、そっと癒しを届けてくれるのです。
第6章|まとめ“泡”がくれる、静かな再起動
── 現代人にとっての泡的時間と、その必要性について
なぜ、私たちは「泡」に癒されるのか?
ここまでの章で見てきたように、泡にはさまざまな癒しの要素が詰まっています。
視覚的な心地よさ(見ているだけで落ち着く)
聴覚や触覚のやわらかさ(音や感触のやさしさ)
身体的なリセット効果(入浴・スキンケア・飲食時など)
文化的な安心感(日本人に根づく“無常観”とのつながり)
それぞれは異なる角度のように見えて、
じつはひとつの共通点があります。
それは、**「ふっと気持ちを緩めるきっかけ」**になっているということ。
忙しさの中では、自分の心が“こわばっている”ことにすら気づけないこともあります。
でも、泡という小さな存在に出会った瞬間、
なんの理由もなく、ふと安心できることがある──
それが、「泡がくれる癒し」の正体なのではないでしょうか。
泡のような時間=何もしない、でも意味のある時間
泡に触れる時間は、何か生産的なことをしているわけではありません。
洗顔の泡を感じる
湯船に浮かぶ泡を見つめる
グラスの炭酸が立ちのぼる音に耳をすます
どれも、「目的」も「ゴール」もない時間です。
でもその“余白”が、今の私たちにとってはとても貴重。
頭や体が疲れているときほど、
なにもしない時間こそが「再起動」になるのだと思います。
泡がそれを、そっとサポートしてくれているのかもしれません。
“ととのう”の正体は、五感がやわらぐこと
「ととのう」という言葉がよく使われるようになりましたが、
それは何か特別なことをするというよりも、
視覚や聴覚からの刺激がやさしくなる
触覚に心地よい感触が伝わる
香りや味わいがシンプルで深く感じられる
そんなふうに、五感が整うことなのかもしれません。
泡は、すべての感覚に対して「強すぎない刺激」を与えてくれます。
それが、心と体のバランスを自然に整えてくれる理由のひとつです。
「心の片づけ」ができる存在
泡には、もうひとつの役割があります。
それは、“ためこんでいた気持ちを外に出す”ということ。
疲れを流す
不安を洗い流す
緊張をほどく
シャボン玉をふーっと吹いて飛ばすとき、
知らないうちに心の中にあったモヤモヤも一緒に吐き出している。
そんな気持ちになること、ありませんか?
泡のなかに、自分を映し出すことで
心の棚卸しができるような時間。
それが「泡的時間」の持つ、もう一つの価値です。
「ちゃんと癒される」を、習慣に
忙しい日々のなかでは、
“疲れ”や“ストレス”に気づいても、それを見過ごしがちです。
でも、
「疲れた」と思ったときに
シャワーではなく、湯船にゆっくり浸かる
洗顔を泡立てて、やさしく手を当てる
ビールを注ぎながら、泡の立ち方を眺めてみる
ほんのそれだけで、
自分をケアしてあげるスイッチが入るようになります。
泡は、癒しの道具というより、
「癒しのサイン」なのかもしれませんね。
最後に──泡がくれる、静かな“再スタート”
目に見えない疲れやストレスを、
「ちゃんとあるもの」として受け止めること。
そして、それをやさしくほどいて、
また明日に向かえるようにすること。
それを、泡はそっと手伝ってくれます。
生まれては消えて、残らない。
でも、心にはちゃんと、あたたかさを残していく。
そんな泡の時間を、これからの日常の中に
少しだけ増やしてみませんか?
きっと、心のどこかで
「また今日も大丈夫」って思えるのではないでしょうか。
コメント