『犬派と猫派、癒しのかたちはこんなにも違う』
- 京都ほぐし堂WEB
- 9月22日
- 読了時間: 25分
更新日:9月29日

人と動物──なぜ、わたしたちは「癒される」のか
犬のしっぽが全力でこちらを向いているとき。
猫が静かに、でも確かにそばに座ってくれているとき。
その小さなしぐさに、どうしようもなく癒されてしまうことがある。
わたしたち人間は、古くから動物と共に暮らしてきた。
仕事仲間として、生活のパートナーとして、そして何より、「言葉を超えた安心の存在」として。
その関係はとても深く、理屈を超えて、心の奥に直接届くような安心感を与えてくれる。
中でも、「犬が好き」「猫が好き」という好みは、
ただの“動物の好み”というよりも、“自分がどんなふうに癒されたいか”という感情の傾向を表しているのかもしれません。
たとえば──
「元気づけてほしい」「一緒にいてほしい」「励まされたい」人は、犬派かもしれない。
「見守ってほしい」「気にされすぎたくない」「ひとりの時間が落ち着く」人は、猫派かもしれない。
そう考えると、犬派と猫派の癒され方の違いには、
自分の感情の処理のしかたや、ストレスとの付き合い方、そして人間関係の築き方まで、
さまざまな“心のかたち”が隠れているように思えるのです。
このコラムでは、犬派・猫派それぞれの癒し方に注目しながら、
自分がどんなときに、何によって、どう癒されているのかを見つめ直していきます。
あなたがどちら派であっても、また、どちらにもなりきれなくてもかまいません。
ここにあるのは、誰かと比べない、**「あなたにとっての癒しのかたち」**を見つけるための時間です。
目次
第1章|犬派に癒される人のこころ
── “つながる安心”を求める、やさしさと不安の混ざり合い
■ 愛されたい気持ちと、愛したい気持ち
犬と目が合ったとき、その目はまっすぐこちらを見ている。
嬉しいときは全身で飛びついてくれるし、落ち込んでいるときは心配そうに隣にいてくれる。
そのわかりやすい愛情表現に、思わず心がほどけてしまう。
「犬って、本当に人の気持ちがわかってくれるよね」──
そんな言葉が自然とこぼれるのが、犬派の人の世界。
犬がくれる癒しは、どこまでも**“双方向的な安心”**です。
自分が愛している存在から、ちゃんと「愛されている」と返してもらえることで、
深いところから「大丈夫」という気持ちが育っていく。
犬派の人が無意識に求めているのは、
「自分という存在を全力で受け入れてくれる相手」なのかもしれません。
■ 「つながっている」と感じることの強い安心感
犬といるとき、多くの人が言葉にするのが「ちゃんと通じ合えてる気がする」という感覚です。
それは、たとえ犬が話さなくても、
こちらの気配に反応してくれる
呼びかけに応えてくれる
目を見てくれる
寄ってきて、触れてくれる
といった**「反応があること」「気持ちをくみ取ってくれること」**によって感じられるもの。
これは、犬派の人の心にある「誰かとつながっていたい」という願いと、とても近い。
そして、そうしたつながりによって**“自分の存在が肯定される”**と感じられることで、深く癒されるのです。
■ 寂しがり屋なわけじゃない──“共鳴”が必要な人
犬派の人が犬に惹かれる理由は、「寂しがり屋だから」だけではありません。
本質は、**「気持ちを受け取ってくれる存在がいることで、自分自身を思い出せる」**という感覚にあります。
話を聞いてもらえる
表情に反応してもらえる
隣にいて、同じ空気を感じられる
こうした“共鳴的な癒し”に安心を感じる人は、
普段から周囲との関係性の中で自分の心を確認している人が多い。
人と深く関わることができるぶん、傷つくこともある。
だからこそ、「大丈夫だよ」と示してくれる存在に、強く癒しを感じるのです。
■ 犬派に見られる“感情表現”の特性
犬派の人には、いくつか共通する感情的な特性が見られます:
感情を出すことを怖れない(あるいは、出したいと思っている)
→ 喜怒哀楽をきちんと見せたい/わかってほしい
関係性に対して誠実でいたいと思う
→ 相手との“絆”や“信頼”を大切にしたい
「反応がある」ことが安心につながる
→ 返事・共感・リアクションがないと不安になる
これは、犬のコミュニケーションスタイルと非常に近い性質です。
犬は、相手の感情に敏感で、反応が早く、誠実で、そしてストレート。
だからこそ、自分の感情と似た波長を持つ存在として、深い安心を感じやすいのです。
■ 科学的に見ても“犬派”の癒しは双方向的
犬と触れ合っているとき、人間の体内では**「オキシトシン」というホルモン**が分泌されます。
これは「絆ホルモン」や「愛情ホルモン」とも呼ばれ、
ストレスを和らげる
心拍や血圧を安定させる
安心感を生む
他者への信頼感を高める
といった作用があります。
そして驚くことに、このオキシトシンは、犬側にも分泌されているのです。
つまり、「目を合わせる」「なでる」「一緒にいる」という行動が、
人間と犬の双方の間で同時にホルモン的な“癒しの循環”を起こしているのです。
この“お互いに癒している”という感覚こそが、犬派の人にとって何よりの安心につながります。
■ 犬派の癒しは“にぎやかな静けさ”
犬との癒しの時間は、「無音」ではありません。
息づかいや足音、しっぽの動き、存在感のある体温──
にぎやかだけれど、それがあるからこその安心感がある。
犬派の人は、「音のある静けさ」に癒されやすい傾向があります。
誰かと一緒にいながらも、沈黙ではなく“あたたかいノイズ”がそこにある状態。
たとえば:
誰かと一緒にごはんを食べる
会話をしながら散歩する
声をかけながら寝落ちする
そんな日常の中に、犬のような癒しの原型があるのかもしれません。
■ 「励まされる」ことで元気になれる人
犬派の人は、「励まされる」ことによって回復するタイプでもあります。
頑張ってるね!と言ってもらえる
自分のことを見守ってくれている存在がいる
応援されているという感覚がある
これは、犬がしっぽを振って出迎えてくれるような、存在を全肯定してくれる感覚。
だからこそ、落ち込んでいるときや、ひとりで不安なときには、
「そばにいてくれる」「声をかけてくれる」「気づいてくれる」存在に、深く癒されるのです。
■ 犬派の癒しタイプはこんな人に向いている
感情を分かち合いたい人
共感・反応・リアクションに安心する人
寂しさが苦手な人
ストレートな関係性を好む人
応援や励ましに元気が出る人
「一緒にいよう」が癒しになる人
犬派の癒し方は、“にぎやかで、あたたかい”もの。
孤独を遠ざけ、つながりの中で心を整える人に、ぴったりの癒し方です。
犬のような存在に癒される人は、
きっと、「ちゃんとつながっていたい」「ちゃんと伝わってほしい」と願っている人。
感情に素直で、思いやりがあり、
そして少し、不安を感じやすくもある。
でも、それは決して弱さではなく、人と人とのあいだにある“やさしい橋”のようなもの。
その橋を渡るようにして、今日もあなたは、誰かと心をつなげているのかもしれません。
第2章|猫派に癒される人のこころ
── “ひとりでいるけど、ひとりじゃない”という静かな安心
■ 猫の「気ままさ」に癒される理由
猫と暮らしている人に、「どんなところが癒される?」と聞くと、こんな答えが返ってきます。
「干渉されないのがいい」
「勝手に生きてて、でもちゃんとそばにいる感じ」
「無理にかまってこないのに、見守られてる気がする」
「なんか“私の世界”を乱さないでいてくれる」
犬のように感情を全身で表現するわけではない。
呼べば来るとは限らないし、甘えたかと思えば、次の瞬間にはスッと離れていく。
そんな気まぐれさに、なぜか“ものすごく癒される”のが、猫派の人の特徴です。
猫の癒しとは、「そっとしておいてくれる存在」としてのやさしさなのです。
■ 自分のペースで癒されたい人へ
猫派に癒される人の根っこには、
「人に踏み込まれすぎたくない」という感覚があります。
それは決して冷たいわけでも、孤独が好きなわけでもなく、
“回復には一定の静けさが必要だ”という感覚に忠実なだけ。
いちいち気を使いたくない
自分のことをたくさん説明したくない
そばにいてくれても、何も言わないでほしい
──そんな心のあり方を、猫は絶妙な距離感で受け止めてくれる。
猫の「気にしてないようで、気にしてる」感じ。
そばにはいるけど、あえて背中を向けて寝る感じ。
その不器用さや塩対応の中に、「ああ、わかってくれてるんだな」と感じられる。
猫派の癒しは、**“強い共感”ではなく、“そっと重なる静けさ”**にあるのです。
■ “ひとりの中に誰かがいる”という安心
猫派の人が安心する癒しの形は、「近づきすぎない関係」です。
それは、誰かと一緒にいたいという気持ちを否定するものではなく、
「自分の空気を守りながらつながっていたい」という感覚。
ひとりで読書しているときに、足元に猫が寝ている
朝、顔を洗っていたら、後ろからじっと見ている
何も言わないのに、そばにいてくれている
そんな風に、**“ひとりの時間の中に、もうひとつの存在がいる”**という安心。
この“さりげなさ”に癒される人は、外向的な関わりに疲れやすい傾向があり、
「何もしない時間に、そっと満たされたい」と願っていることが多いのです。
■ 猫派は「気を遣わない時間」に癒される
猫は、空気を読まない。
でも、空気を壊さない。
この独特のバランス感覚が、猫派の人の癒しのポイントでもあります。
人と関わるとき、無意識に気を遣ってしまう人。
「人といると楽しいけど、どっと疲れる」タイプの人。
そんな人にとって、猫の存在はとてもありがたい。
こっちが落ち込んでいても、無理に励ましてこない
近づきすぎず、離れすぎない
気まずくならない沈黙をくれる
猫派の癒しとは、まさに**「気を遣わなくていい時間」**の中にある安心なのです。
■ “やさしくされる”より、“干渉されない”ことが安心
猫派の人にとっての癒しは、「やさしくされる」よりも、
「尊重されている」ことの方が安心につながります。
犬のように寄り添ってこられると、少し息苦しく感じてしまう。
大丈夫?と何度も聞かれると、かえって疲れてしまう。
そんなときに、ただそばで黙っている猫の存在が、妙にありがたく感じる。
これは、猫派の人が「感情をひとりで処理したい」タイプだからかもしれません。
感情をすぐに言語化できない
自分の中で一度、整理したい
頭で考える前に“感覚で感じたい”
そういった人にとっては、「触れられないやさしさ」の方が、よっぽど安心なのです。
■ 猫派の癒しにある“自己回復力”
猫の癒し方は、**“構わずに信じる”**という距離感です。
今はそっとしておいたほうがいいと感じると、離れる
相手が眠っていたら、そっと静かに歩く
無理に関わらず、「いること」で支える
猫に癒される人は、この「見守られる感覚」に安心を感じる。
それは、「自分の感情は、自分で整えられる」と知っているからこそ。
つまり、猫派の癒しは**“自分で回復できる力”を信じることに寄り添ってくれる癒し**でもあるのです。
■ 猫派に見られる感情傾向
猫派の人には、以下のような傾向が見られます:
自分の時間・空間を大切にしたい
感情を言語化せずに、感覚で処理したい
過干渉が苦手
静かに寄り添う関係を好む
「変わらずそこにいてくれること」に癒される
それは、自分のペースや気分を崩されたくないというだけでなく、
「自分を整える力を、自分の中にちゃんと持っていたい」という、
内的な強さと繊細さの同居でもあるのです。
■ 科学的に見た“猫派の癒し”のしくみ
猫派の人もまた、猫とのふれあいや共存を通じて、
オキシトシン(愛着ホルモン)を分泌しています。
特に注目されるのは、HSP(Highly Sensitive Person)傾向を持つ人における猫の癒し効果。
HSP気質の人は、刺激に敏感で、外からの情報や人間関係に疲れやすい。
そのため、静かな存在・無理のない関係性に安堵する傾向があり、
猫の「そっとしておいてくれる感じ」「気配で見守る距離感」は、まさに理想の癒し方なのです。
■ 猫派の癒しタイプはこんな人に向いている
自分のペースを大切にしたい人
感情に寄り添われるより、見守られる方が落ち着く人
沈黙を共有できる関係を好む人
「何もしない時間」に癒しを感じる人
精神的な自立を大事にしている人
ひとりの時間の中で、誰かがそばにいることが安心な人
猫派の癒し方は、“そっとしておく”やさしさ。
過干渉でも放置でもない、ちょうどいい余白が、心の呼吸を助けてくれる。
猫に癒される人は、
きっと、「近すぎず、遠すぎず」「構いすぎず、気にしている」という関係に、深い安心を感じている人。
自分の気持ちを、自分の中でじっくり受けとめて、
ときに誰にも触れず、でも、誰かがそばにいるというだけで整っていく。
猫派の人にとって、癒しとは、**「干渉されずに、尊重されること」**なのかもしれません。
そしてその静かな関係は、今日も、あなたの心の奥で小さな安心を育て続けているのです。
第3章|犬派と猫派の癒され方のちがいは、感情処理のちがい
── あなたは「吐き出して癒す人」?それとも「抱きしめて癒す人」?
■ 癒しは「感情の後始末」のかたちでもある
私たちが「癒されたい」と思うとき、その背景にはたいてい感情の疲れがあります。
不安や怒りが処理しきれず、心に残っている
嫌なことを飲み込んだまま、言えなかった
楽しかったけれど、気を遣いすぎてぐったりしている
無理をしたことに気づかずにいたけど、あとからどっと疲れた
──そんな“感情の残りかす”のようなものが、体と心に蓄積されたとき、人は癒しを求めます。
そして、この「癒し方」は、人によってまったく異なります。
その違いの正体こそが、「感情処理のスタイル」──つまり、**“どうやって気持ちを収める人なのか”**という性質です。
■ 犬派:感情は「外に出す」ことで落ち着く
犬派の人は、感情をため込むよりも、誰かに話す・動く・表現することで整うタイプが多い傾向があります。
話を聞いてもらうと落ち着く
泣いたり笑ったりしてスッキリする
感情を外に出すことで整理できる
自分の気持ちに共感してもらうことで癒される
これは、感情を「循環」させたい気質とも言えます。
感情は溜めておけないし、うまく出せないとストレスが蓄積しやすい。
だからこそ、犬のように反応がある存在・言葉を返してくれる存在に安心しやすく、
「わかってくれる」「共にいてくれる」ことが、心のバランスを取り戻す鍵になるのです。
■ 猫派:感情は「静かに受けとめて、自分の中で消化する」
一方で猫派の人は、ひとりで感情を味わい、自分のペースで処理していくスタイルの人が多い。
話すより、静かに考える時間がほしい
感情の波を、そのまま抱えておきたい
誰かに反応されると、かえって疲れる
共感よりも、そっとしておいてくれる方が楽
こうした人にとっては、犬のような“熱量の高い寄り添い方”は、時に負担になります。
それよりも、「何も言わなくても、そこにいてくれる」存在に安心する。
感情処理の過程が**“内省型”で、“再起動”に時間がかかる**ぶん、静けさや距離感のある癒しが必要になるのです。
■ 吐き出して癒すか、抱きしめて癒すか
この章のタイトルにもあるように、癒しのスタイルは大きく分けて2つ:
🐾 犬派:「吐き出して癒す」
→ 外に出すことで、感情を整理/解放
→ アウトプット型の処理(話す・動く・表現)
🐈 猫派:「抱きしめて癒す」
→ 感情をそのまま“感じきる”ことで整える
→ インプット型の処理(静かに味わう・考える・忘れる)
この違いは、性格というより**“エネルギーの回復法”のクセ**のようなもの。
どちらが良い悪いではなく、「自分はどちらの癒し方が合っているか」に気づくことが大切です。
■ 外向型と内向型で見る“癒しの間口”の広さ
心理学の分類でよく知られる「外向型」と「内向型」の考え方も、犬派・猫派の癒し方の違いと関係があります。
外向型:刺激を受けることで充電されやすい
内向型:刺激を抑えることで整いやすい
犬派の癒しは、外向型的な特徴と相性がいい。
猫派の癒しは、内向型的な回復法に似ている。
たとえば、同じように疲れているとき──
犬派の人は、「誰かと話して元気になる」「気分転換で外に出たい」
猫派の人は、「ひとりで静かな場所にいたい」「好きな音楽や本にひたりたい」
というふうに、“刺激に向かう”のか“刺激から離れる”のか、癒しの方向性が真逆になります。
■ ストレスの処理方法にも出る傾向
犬派と猫派は、ストレスがかかったときの対処法にも違いが現れます。
🐾 犬派(発散型)
運動や会話、アクションでストレスを流す
「発散する場」が必要
人に相談したり、声に出して整理することで回復
🐈 猫派(吸収型)
いったん飲み込んで、自分の中でゆっくり消化
「ひとりになれる空間」が必要
外に出さずに“処理しきる”までに時間をかける
だから、犬派は「忙しすぎて話す暇がない」とストレスがたまり、
猫派は「静かな時間がない」とストレスが爆発する傾向があります。
■ “癒しの再現性”にも違いがある
犬派・猫派では、「何度でも癒される行動」のパターンも少し異なります。
犬派:誰かと会う・話す・笑うなど、“その場限りの刺激”でも毎回効果がある
猫派:音楽・空間・香りなど、“自分だけの癒しルーティン”を持っていて、それを繰り返す
犬派の人は「新鮮な癒し」に反応しやすく、猫派の人は「安心できるパターン」に身を委ねる。
この差が、癒しの習慣の組み方にも影響してきます。
■ 自分の“整い方”を知ることが癒しのヒントになる
ここまで見てきたように、犬派・猫派の違いは、
その人の感情の処理スタイル=整い方のクセのようなものです。
だからこそ、どちらが良い悪いではなく──
「自分はどういうときに、どうやって癒されるのか?」
「どんな癒し方だと、うまく整うのか?」
を知ることが、ストレスに負けない日常をつくるヒントになります。
■ 自分の癒しタイプに合ったセルフケア例
犬派タイプにおすすめ:
声に出して気持ちを整理する
誰かと気軽なおしゃべり
外に出て景色や人とふれあう
身体を動かして感情を流す
自分を全肯定してくれるような映画・音楽
猫派タイプにおすすめ:
音・光・情報を少なくした空間で過ごす
香りや音楽など五感で安心できるルーティン
ノートに書いて整理/書かずにぼーっと考える
静かな読書/日記を書く
見守ってくれる空気感のあるコンテンツ
癒され方のちがいは、感情のちがいではありません。
それは、“感情のしまい方のちがい”です。
犬派のように、外に出して風を通して整えるのか。
猫派のように、そっと抱えて温めて整えるのか。
あなたがどちらの癒しに惹かれるかは、
「どんな風に自分を回復させてきたか」を映す鏡なのかもしれません。
そしてその癒し方は、
“いまの自分がどんなふうに疲れていて、どんなふうに守られたいのか”を
そっと教えてくれているのです。
第4章|犬っぽい人・猫っぽい人といると落ち着く理由
── 人の中にも、犬や猫のような癒しがある
■ 人間関係にも「犬派・猫派」はある
「犬派」「猫派」という言葉は、動物に限った話ではありません。
誰かと接していて「この人、犬っぽいな」「猫みたいな人だな」と感じたことがある人も多いはずです。
犬っぽい人とは──
よく笑い、元気で、こちらの変化にすぐ気づいてくれるようなタイプ。
一緒にいると安心感があって、自分も自然体でいられる。
猫っぽい人とは──
静かで、必要以上に関わらず、でもいつも自分のペースを崩さずにいるタイプ。
そばにいるだけで落ち着く、不思議な存在感をもっている。
そして不思議なことに、自分が犬派か猫派かによって、癒される“人のタイプ”も変わることがあるのです。
■ 犬っぽい人の癒しは、“陽だまりみたいな存在感”
犬っぽい人には、次のような特徴があります。
表情がわかりやすく、ポジティブな感情を出してくれる
相手の変化に気づくのが早く、気遣いもストレート
距離感が近く、励ましたり、応援するのが得意
一緒に笑う・動く・しゃべることを通じて“つながる”人
つまり、言葉や行動によって相手を元気づける癒し型です。
たとえば──
落ち込んでいるときに、こんなふうに声をかけてくれる人。
「元気出して!」
「絶対大丈夫!」
「一緒にどっか行こ!」
「なんでも話してよ」
相手の気持ちを変えようとしてくれる“明るい力”に癒されるのは、
どちらかというと、外に出すことで整うタイプの人(=犬派)。
犬っぽい人は、感情の代弁者になってくれる。
だから、感情をうまく言葉にできないときにも、そばにいるだけで少しずつ元気になれるのです。
■ 猫っぽい人の癒しは、“静かな肯定”
一方で、猫っぽい人にはこんな特徴があります。
言葉よりも“気配”で伝えるタイプ
必要以上に干渉せず、相手のペースを尊重する
感情の起伏が穏やかで、そばにいるだけで落ち着く
「何も言わないでいてくれる」ことが優しさとして伝わる
たとえば──
つらいとき、何も言わずにそばにいてくれるだけの人。
無理に聞き出さないけれど、そっと飲み物を差し出してくれるような人。
猫っぽい人は、“そのままでいていい”という空気ごと癒してくれる存在です。
このタイプに癒されやすいのは、内省的で繊細な猫派タイプ。
話すことで気を遣ってしまう人、感情を消化するのに時間がかかる人にとって、
“何もしないでそばにいる”という関係は、何よりの救いになります。
■ 「誰といると落ち着くか」は、癒しスタイルのヒント
自分がどんな人と一緒にいると落ち着けるか──
これは、自分の癒しスタイルを知るうえで、非常に大きなヒントになります。
🐾 犬派寄りの人は:
よくしゃべってくれる人
明るく励ましてくれる人
返事やリアクションが大きい人
外に連れ出してくれる人
🐈 猫派寄りの人は:
詮索せず、そっとしておいてくれる人
自分のリズムに干渉してこない人
沈黙が苦にならない人
一緒に“ただいる”時間をくれる人
あなたが「落ち着く」と感じる人は、自分の“整い方”に合った関わり方をしてくれる人なのかもしれません。
■ 「近すぎず、遠すぎない」距離感が心地いい理由
癒しとは、“相手との関係の中にあるもの”でもあります。
そして、犬派と猫派では「心地よい距離感」にも明確な違いがあります。
犬派:関係性に密着して癒される
猫派:関係性の“余白”に癒される
たとえば、犬派の人にとっての「優しさ」は“言葉で表現されるもの”。
「好きだよ」「応援してるよ」「いつでもそばにいるよ」など、言葉があって初めて実感できる安心感がある。
一方で猫派の人にとっては、「優しさ」とは“存在していることそのもの”。
言葉にしない関係、表情を交わさない時間に、かえって安心できる。
「伝えようとしてこないこと」が信頼感にすらなるのです。
この違いは、人間関係の築き方にも表れます。
■ 「癒される人の特徴」に注目してみる
あなたが「この人といると落ち着く」と感じるとき、
それはきっと、その人が“自分の整え方”に沿って接してくれているということ。
無理にしゃべらなくていい
泣いても怒っても、ちゃんと受け止めてくれる
何も言わなくても、気持ちが軽くなる
その“落ち着き”の正体は、あなたが自然体でいられる関係性にあります。
それが犬っぽい人でも、猫っぽい人でも、
共通しているのは、「今の自分をそのまま置いておける場所」であること。
■ 「相手を癒す側」になったときのヒント
この章では「癒される側」としての自分を考えてきましたが、
もしあなたが、誰かにとっての“癒す側”になるなら──こんなことがヒントになるかもしれません。
犬派っぽい癒し方をしたいなら:
相手の感情に共感してあげる
話をしっかり聞く(リアクションも忘れずに)
スキンシップや目線など、愛情表現をストレートに
不安なときは「そばにいるよ」と明言する
猫派っぽい癒し方をしたいなら:
相手のペースを尊重する
無理に話させない/質問しすぎない
ただ一緒にいるだけの時間を大事に
沈黙や“何もしない”を心地よく受け止める
大切なのは、「相手の回復のリズム」に合わせること。
犬派・猫派の癒し方を知っておくと、その人に合った距離感で寄り添うことができるのです。
人の中にも、犬のような人、猫のような人がいる。
そして自分は、どちらの人といると落ち着くのか──
その違いを感じることは、**「どんな関係性が、あなたにとっての癒しなのか」**を知ることでもあります。
癒しとは、相手の形を通して、自分の心の形を知ること。
もしあなたが誰かといて、理由もなく安心できたなら、
それは、その人があなたの癒しのリズムと、どこかで重なっていたということ。
犬派でも、猫派でも、
その癒しのスタイルは、あなた自身の“感情の居場所”を静かに教えてくれているのかもしれません。
第5章|犬派・猫派を超えて、“癒しのかたち”を選び直す
── いまの自分に合う癒しは、いまの自分が知っている
■ 「犬派 or 猫派」は、ほんとうに“派閥”なのか?
私たちはつい、自分を何かに分類したくなる生きものです。
「文系か理系か」「インドア派かアウトドア派か」──
そしてこの話題においては、「犬派か、猫派か」。
けれど実際は、誰の心の中にも、犬っぽさも猫っぽさもある。
そしてその“癒され方”もまた、固定された好みではなく、変化する感情のかたちではないでしょうか。
昨日は犬派だったのに、今日は猫派だった
若いころは猫っぽい癒しが好きだったけど、最近は誰かに寄り添ってほしい
人には明るく犬派っぽく振る舞っているけど、自分の癒しは猫寄り
──そんな風に、「どっちとも言い切れない自分」に気づく瞬間があるのです。
■ 癒しは“人生のタイミング”で変わるもの
癒しのスタイルは、ライフステージや環境によって変化します。
🕊 学生時代
刺激や新しい出会いにワクワク
誰かと一緒にいることが当たり前で、犬派的な癒しが心地よい
🌙 社会人初期
疲れや孤独をひとりで抱えることが増える
そっとしておいてほしい猫派的な癒しを求めはじめる
🍃 中年以降・変化の時期
子育て・介護・転職など、人生の大きな波に揉まれると
癒しは“手軽さ”よりも、“静けさ”や“信頼”へとシフトしていく
そして、そうした変化を受け入れる柔軟さこそが、
「自分に合う癒しを、都度選び直す力」につながっていくのです。
■ 癒しとは、「自分との関係の結び直し」
癒しの本質は、外側から与えられるものではなく、**“自分が自分に許してあげるもの”**だと感じます。
わたしは、いま疲れてる
わたしは、いまそっとしておいてほしい
わたしは、いま誰かに受け入れてほしい
そんなふうに、自分の状態をちゃんと感じてあげて、
そのとき必要な癒しを、ちゃんと受け取らせてあげる。
犬派・猫派というラベルを超えて、
「わたしが、いま“どう癒されたいか”」に正直になること。
それが、いちばん深い癒しなのかもしれません。
■ 「今日はこっち」の癒し方でもいい
癒しの正解は、“ゆらぎ”の中にあります。
たとえば──
月曜日は誰とも話したくなくて、猫のように過ごしたい
火曜日は同僚とランチをして、犬のように笑いたい
水曜日は何にもしたくなくて、ベッドの中で静かにまどろむ
木曜日はお気に入りの映画を観て、泣いて笑って回復したい
金曜日は夜風の中を歩きながら、ただ自分に戻りたい
そんな風に、**「今日は犬っぽく」「明日は猫っぽく」**という切り替えができると、
癒しはもっとやわらかく、もっと自由になります。
■ 他人の癒し方を、まねしなくていい
SNSを見ていると、いろんな“癒しの正解”が流れてきます。
森に行くと整うらしい
サウナが自律神経にいいらしい
ペットと過ごす時間が最高の癒しらしい
どれも素敵。でも、自分にはピンとこないこともある。
そんなとき、「わたしは変なんだ」「感覚がおかしいのかな」と思わなくていい。
あなたの癒し方は、あなたしか知らないし、あなたの心と体が一番よくわかっている。
他人の癒しに触れるのは参考程度でいい。
「自分にとっての快適さ」を、信じてあげることが、癒しの第一歩です。
■ 「癒しは変わっていい」を許すこと
昔は効いていた癒しが、今はしっくりこないことがあります。
ひとり時間が大好きだったのに、最近は誰かといたくなる
人と会うのが好きだったのに、今は静けさの中にしか癒しを感じない
癒されたいのに、何にも反応できない
そんな自分に出会ったときこそ、大切なのは**「変わってもいい」を許すこと**です。
変わったのではなく、「いまのあなたに合う癒しが変わった」だけ。
癒しは、“固定された好み”ではなく、“今の自分を整えるための選択肢”なんです。
■ 「癒し」と「自分らしさ」は似ている
不思議なことに、人は「癒されている」とき、とても“自分らしく”なっている。
無理をしていない
他人の目を気にしていない
気持ちが正直で、穏やかで、力が抜けている
つまり癒しとは、「自分に戻ること」そのもの。
犬派でも猫派でも、あなたが癒しを感じる瞬間は、
きっと「これが自分だな」と、どこかで思えているはずです。
犬派か、猫派か。
そんな単純な選択では分けきれない、
私たちの心と癒しのかたちは、
もっとやわらかく、もっと移ろいやすいものなのだと思います。
昨日の癒しが、今日もしっくりくるとは限らない。
でも、それでいい。
その日の自分が望む癒しを、その日の自分にちゃんと選ばせてあげる。
それができたとき、癒しはもう、“自分との関係の再確認”になるのです。
あなたの中にある「犬っぽさ」も「猫っぽさ」も、
どちらもやさしく、あなたの感情を抱えて生きています。
癒しとは、その両方を、まるごと受け入れてあげることなのかもしれません。
まとめ|癒され方は、自分らしさの入り口になる
── 「何に癒されるか」は、「どんなふうに自分でいたいか」でもある
犬派か、猫派か。
ただの好みと思っていたその問いかけは、
じつは**「自分は、どう癒されたい人なのか」**を映し出す鏡でした。
にぎやかなつながりの中に癒しを感じる人。
静かな共存に安心を覚える人。
どちらでもなく、その日の気分や状況に合わせて変わる人。
──そのすべてに、正しさがあります。
大切なのは、「自分がどう癒されるか」を知っていること。
それはつまり、「自分がどんなふうに疲れているか」や、
「自分がどこで呼吸しやすいか」に気づくことでもあるからです。
癒しとは、誰かが与えてくれるものではなく、
“自分のために、自分が選ぶもの”。
だからこそ、犬派でも猫派でも、あるいはそのどちらでもなくても、
あなたにとって心がふっと軽くなる瞬間があれば、それで十分です。
たとえば、
笑顔で迎えてくれる存在に癒される日もあれば、
ただ黙ってそばにいてくれる空気に救われる日もある。
「今日は犬っぽく」「明日は猫っぽく」──そんな自由さの中に、
そのときの“自分らしさ”が、そっと顔を出してくれるかもしれません。
癒され方は、自分らしさの入り口。
「何に癒されるか」を知っていることは、
あなたが自分自身にやさしくなれる準備が、すでに整っているということです。
今日も、心と体がほっとできる場所へ。
犬でも猫でも、誰でもない“あなた自身”の癒しの形を、これからも見つけ続けていけますように。
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