不安と仲よく暮らす方法──楽しさへ切り替わる瞬間のために
- 京都ほぐし堂WEB
- 3 日前
- 読了時間: 28分

「心がざわつく日」と「なんか大丈夫な日」の違いって?
なんだか今日は、朝から不安だな。。
とくに理由があるわけでもないのに、胸のあたりがざわざわして、集中できなかったり、人の言葉がいつもより引っかかったり。
かと思えば、昨日と同じような一日でも、「なんか今日は平気」と思える日もあって。心って、ほんとうに気まぐれです。
でも、その気まぐれには、ちょっとした“きっかけ”があるのかもしれません。
朝の光の入り方、選んだ服の色、通勤中に聴いた音楽のリズム。あるいは、きのう食べたもの、寝る前に見たニュース、夢の中の気配。
そんな小さな積み重ねが、今日の“心の状態”をつくっているとしたら――。
このコラムでは、「不安」と「楽しさ」という、対照的だけどとても近い感情について探っていきます。
どちらも、日常の中にひっそりと混ざっていて、ふとした拍子に入れ替わる。まるで、部屋の中にある二つのドアのように。
自分ではコントロールできないと思いがちな感情だけれど、ほんの少しだけ意識を向けることで、そっと“切り替える”ことができるのかもしれません。
切り替えのきっかけは、「からだ」だったり、「音」だったり、「習慣」だったり。
深呼吸ひとつ、背中をほぐす動作、マグカップを両手で包む感触。
そんな日常のなかの小さなスイッチを見つけることで、「不安」とうまく付き合いながら、「楽しさ」にも心を開いていけたら――。
今、ちょっと気持ちがざわついている人も。
最近なんだか調子がいいなと思っている人も。
このコラムを読む時間そのものが、あなたの心のスイッチを見つける手がかりになればうれしいです。
第1章|不安の正体を“からだ”から探してみる
──「心の問題」と思っていたことは、意外と“体”に出ていたりする。
■ 不安は“気のせい”じゃない
「不安」という感情は、なにかとはっきり言葉にできないのが特徴です。悲しい、怒っている、つらい、といった感情に比べて曖昧で、自分でも「なんでこんな気持ちなんだろう?」と、もやもやすることが多いもの。
でも、不安というのは「気のせい」ではありません。それは明確に、体の中のいくつかの反応として現れます。
たとえば、胸のあたりがぎゅっと縮まるような感じ。胃がムカムカしたり、呼吸が浅くなったり、手が冷たくなったり。感情の正体をたどっていくと、それは“体のどこか”に必ずと言っていいほど現れています。
■ 呼吸が浅くなると、心がざわつく
とくに不安と直結しているのが、「呼吸」の質です。人は不安を感じると、無意識のうちに呼吸が浅く、速くなります。これは自律神経のうち「交感神経」が優位になるためで、体が“戦闘モード”に入っている証拠でもあります。
逆に言えば、深く長い呼吸を意識することで、「不安」の感情をゆるめることができるのです。「深呼吸して落ち着こう」とよく言われるのは、単なる気休めではなく、実際に神経系や筋肉の緊張を整える効果があるからです。
また、呼吸は感情のアクセルにもブレーキにもなります。たとえば、緊張する場面であえて吐く息を長くすると、心拍数がゆるやかになり、焦りや不安が和らいでいく感覚が得られます。これは、呼吸が“体の操作盤”のような働きをしている証拠です。
■ 姿勢は、心の姿勢
不安を感じやすいとき、人の体は前かがみになっていたり、肩がすくんでいたり、視線が落ちていたりします。姿勢は、感情の鏡です。背中を丸めたまま、堂々とした気持ちになるのはなかなか難しいですよね。
反対に、姿勢を少しだけ整えることで、気持ちが持ち上がることもあります。「心が整えば、体も整う」というのはよく聞く話ですが、実はその逆、「体を整えることで、心も整う」というルートも確かにあるのです。
座っている姿勢が浅くなっていないか?歩くときの重心がつま先に偏っていないか?肩や首に力が入りっぱなしになっていないか?
そうした体のクセは、いつのまにか不安の「習慣」として定着していることもあります。
■ 整体的に見た「不安の居場所」
整体の視点では、「不安」は“気分”ではなく、“感覚”として身体に現れるものと捉えます。胸の中央=みぞおち周辺の緊張や、背中のハリ、腸の張りなど、微細な筋肉や内臓の状態に注目します。
特に「腸」は感情と深く結びついており、ストレスや不安を感じたときにお腹が痛くなったり、張ったりするのはその証です。“腸は第二の脳”とも言われるように、私たちのメンタルは思っている以上に内臓の調子に左右されているのです。
さらに、感情のストックが「背中」に溜まると考える施術者もいるようです。「最近、なんとなく背中が重いな」と感じるとき、それは精神的な負担が表れているのかもしれません。
■ やわらかさは、安心のバロメーター
体のどこかが“こわばっている”という感覚は、不安を感じているサインでもあります。逆に、筋肉がやわらかく、呼吸が深く、表情がゆるんでいる状態は、安心とリラックスの証拠です。
とくに首、肩、背中、腹部の筋肉が「ゆるんでいるかどうか」は、感情の状態と深くリンクしています。たとえば、ふっと肩の力が抜けた瞬間に、思考もクリアになる感覚。それは、体が先に“安心していいよ”とサインを出しているのです。
施術やセルフケアで、筋肉がゆるむことで「気持ちまで軽くなった」と感じるのは、多くの人が体験しているはずです。
■ 自分の「不安サイン」を見つける
不安をなくすことを目指すのではなく、「今、自分のどこが不安を感じているのか」を見つけること。たとえば、
「今日はやけに息が浅いな」
「胃が重く感じる」
「肩に力が入ってる気がする」 といった、自分の“感覚”に気づくことは、不安との付き合い方を見直す第一歩になります。
体から心へ。心から体へ。不安という感情は、そのどちらからもアプローチできる、繊細で複雑な“体験”です。
■ 心の揺らぎに、“手当て”をするということ
「手当て」という言葉は、もともと“手を当てる”という意味です。心がざわついたとき、自分の胸やお腹に手をあててみると、ほんの少し安心することがあります。それは科学的に説明できる作用もあれば、もっと感覚的な「肌のぬくもり」による癒しもあるでしょう。
人に触れられるだけで、緊張が緩むこともあれば、逆に触れられることで不安が強くなることもある。だからこそ、自分自身の“心地よい触れ方”を見つけることは、不安との距離感を測るひとつの方法です。
■ 不安を“見える化”すると、やさしくなれる
最後に。不安という感情は、目に見えないからこそ、不安なのかもしれません。でも、それが「肩のこり」「呼吸の浅さ」「背中の重さ」「手の冷たさ」など、体に現れていると気づくことで、漠然とした不安が少しずつ具体的になっていきます。
すると、不思議なことに「自分にやさしくしよう」という気持ちが湧いてきます。
不安な自分にダメ出しするのではなく、 「今日は、ちゃんと頑張ってるね」 「体がちょっと疲れてるだけかもね」 そうやって、声をかけてあげられるようになるのです。
その第一歩は、からだの感覚に目を向けることから。 そして、“心の不安”は、“からだを通して”やさしく整えていくことができる──そんな視点を、あなたのなかにそっと灯せたらうれしいです。
第2章|「うれしいことがあっても不安になる」現象について
── 喜びと不安が同時にやってくるのは、心がちゃんと動いている証拠。
■ うれしいのに、不安。
「良いことがあったはずなのに、なぜか不安」
そんな経験、きっと多くの人が心当たりがあるのではないでしょうか。
たとえば──
合格通知を受け取った瞬間、ホッとした後に襲ってくるプレッシャー
ずっと欲しかったものを手に入れたはずなのに、「これでよかったのかな?」という迷い
好きな人との関係が深まったあとに湧いてくる、「失ったらどうしよう」という恐れ
これらの感情は、一見「喜び」とは矛盾しているように感じるかもしれません。
けれど実は、喜びと不安はとても近いところにいる感情なのです。
そのどちらも、“大切に思う何か”に心が動かされている証拠でもあります。
■ 「変化」がもたらす揺らぎ
多くの場合、うれしい出来事の背景には「変化」があります。
変化は、新しい未来への扉であると同時に、未知の領域への一歩でもあります。
脳は、“いつも通り”を好みます。
だからこそ、たとえポジティブなことであっても、「この先どうなるかわからない」という不確かさが加わると、無意識に警戒モードが働くのです。
このとき、私たちの中では、喜びと警戒が同時に起きている状態になります。
心は“うれしい”けれど、体や神経は“ちょっと待って、それ本当に大丈夫?”とささやいている。
このギャップこそが、「うれしいのに不安」という状態の正体です。
■ 幸せになるのが、少し怖い
人は、幸せを感じたときほど、逆に「失うこと」への恐れが湧いてくることがあります。
大切な人ができたら、その人を失う想像をしてしまう
望んでいた仕事に就けたあと、失敗する未来がちらつく
穏やかな日々の中に、急に「いつまで続くだろう?」という不安が混ざる
こうした感情は決してネガティブではありません。
むしろ、「自分の人生にとって大事なものができた」からこそ、心がその存在を大切に守ろうと、先回りして構えているのです。
つまり、幸せを感じるほど不安になるのは、それだけ“ちゃんと感じている”ということ。
感情が豊かで繊細である証でもあります。
■ 喜びと緊張の“同時進行”を受け入れる
人の感情は、単色ではありません。
「うれしい」「たのしい」だけで構成されている日など、ほとんど存在しないのではないでしょうか。
たとえば、好きな人に会いに行く途中、楽しみと同時に緊張も高まってくる。
プレゼンがうまくいったあと、達成感と同時に、「次はもっと良くしなきゃ」と肩に力が入る。
喜びと緊張。期待と不安。
そうした感情が**“同時に”存在することは、ごく当たり前のこと**なのです。
この同時進行を無理に分離したり、「こんな気持ちじゃダメ」とジャッジするのではなく、
「そういうふうに感じることもある」と受け止めてあげることが、感情を整える第一歩です。
■ 「楽しい予定の前に不安になる」のはなぜ?
旅行の前日、ずっと楽しみにしていたイベントの朝。
「行きたくないわけじゃないけど、落ち着かない」
そんな感覚に陥ったことはないでしょうか。
この不安の正体は、主に以下のような要因が複雑に絡み合っていることが多いです。
“うまくいかなかったらどうしよう”という予防線
“楽しめなかったらどうしよう”という期待とのギャップへの不安
“周りとうまくやれるかな”という社会的不安
“いい思い出にしたい”という強い願望からくるプレッシャー
楽しみにしていた分だけ、「失敗したくない」という思いも強くなります。
でもそれは裏を返せば、「その時間を大切にしたい」という気持ちの表れでもあるのです。
■ 成功や達成のあとの不安にも、理由がある
大きなことを成し遂げたあと、不安に襲われることもあります。
「終わったはずなのに、なぜか心がザワザワする」
この現象には、いくつかの心理的要因があると考えられています。
緊張が解けたことによる“反動”
次に何をすればいいかわからない“喪失感”
「これでよかったのか」という“達成後の自己評価”
周囲の期待に応え続けなければいけないという“重圧”
人は、ずっと頑張ってきたときほど、その反動で揺れやすくなるものです。
成功のあとに不安を感じるのは、「自分の心と向き合う余裕が戻ってきたから」とも言えるでしょう。
■ 不安は「感情の濃度」を上げてくれる
逆説的ですが、不安があるからこそ、私たちは楽しさを深く味わえるのかもしれません。
不安だったけれど勇気を出してやってみた
緊張していたけれど、やり終えたあとにホッとできた
不安で仕方なかったのに、誰かと笑いあえた
こうした経験には、単なる「うれしい」「たのしい」だけでは得られない、感情の深みが宿ります。不安があったからこそ、その喜びは“より大きく”“より濃く”心に残るのではないでしょうか。
■ 「不安があること」が悪いわけじゃない
私たちはどうしても、「不安を感じる=失敗」と捉えてしまいがちです。
でも実は、不安があることそのものは、まったく問題ではありません。
問題なのは、「不安を感じている自分を責めてしまうこと」。
感情は、“正しさ”ではなく“正直さ”で見るもの。
「こんなふうに感じるなんて、弱いのかな」
「こんなに不安になるなんて、おかしいのかな」
そう思ったときこそ、
「ちゃんと心が動いている証拠なんだ」と、自分にそっと言ってあげてください。
■ 喜びと不安のグラデーションに気づく
感情は、はっきりと線引きできるものではなく、グラデーションで存在しています。
うれしいけど不安
安心だけどドキドキする
楽しいのに落ち着かない
こうした複雑な気持ちが自然に混ざり合っているのが、私たち人間の心です。
そしてその中に、“切り替えのヒント”は必ずあります。
自分の感情を、ひとつずつ選り分けるのではなく、まるごと受け止めてみる。
その“余白”のような感覚が、不安と楽しさの間にある「スイッチ」に気づくきっかけになるかもしれません。
「うれしいことがあったのに、不安になる」
それは、心が繊細に動いているからこそ。
変化に対する反応であり、未来を想う証でもあります。
不安があることは、悪いことではありません。
それを抱えている“自分自身”と、うまくつきあっていくこと。
ときには揺れ、ときには整いながら、「切り替える力」は日々育まれていきます。
第3章|“切り替えスイッチ”は、習慣のなかにある
── 気持ちの土台は、毎日の小さなルーティンでつくられている。
■ なぜか不安な日、なぜか平気な日
朝、目が覚めた瞬間から、なんだか気持ちが落ち着かない日。
反対に、何の根拠もないけれど「今日はなんとかなる気がする」と感じられる日。
大きな違いはないはずなのに、心の持ちようはまるで別世界のよう。
こうした日々の“感情のムラ”は、もしかすると「習慣の中にあるスイッチ」によって生まれているのかもしれません。
■ 習慣は「感情の立ち上がり」をつくっている
人の感情は、出来事そのものに反応しているだけではありません。
その前に、**「状態をつくっている土台」**があることを忘れてはいけません。
たとえば──
朝起きたとき、窓から入る自然光で目覚めた日
コーヒーを淹れる時間があった日
好きな服を着て外に出られた日
そうした何気ない習慣の中に、「気分が整いやすいスイッチ」はいくつも潜んでいます。
これは逆に言えば、“ちょっとしたズレ”が、不安の入り口になることもあるということです。
■ 朝のルーティンで「心の下地」を整える
心の切り替えがうまくできる人は、朝の使い方がとても上手です。
何をするでもなく、静かに呼吸を整える時間があったり、軽く体を動かすストレッチを日課にしていたり。
それだけで、その日一日の“心の受け皿”が変わってくるようです。
たとえば:
顔を洗うときのお湯の温度に気を配る
朝食のメニューを固定して悩まないようにする
朝一番に「今日はどんな気分か」を確認する
こうした行動は一見小さなことですが、「今の自分の状態を把握し、少し整えてから外の世界へ出る」という、内側からのスタンバイになってくれます。
■ 切り替えスイッチは「五感」にある
心の状態を切り替えるのに、言葉や思考だけでは足りないと感じるときがあります。
そんなとき、もっとも頼りになるのが「五感」です。
触覚(手触りの良い服、柔らかいブランケット)
視覚(部屋に差し込む光の色、飾ってある花の彩り)
聴覚(お気に入りの音楽、静寂)
嗅覚(香りのあるスキンケア、アロマ)
味覚(あたたかい飲み物、安心する味)
これらの感覚刺激は、脳を通さずに心に届く特別なルートを持っています。
だからこそ、言葉では追いつかない感情にも、そっと寄り添ってくれるのです。
■ 「自分だけの安心の儀式」を持っておく
人は、それぞれに「不安から気持ちをそらすコツ」を知っています。
それを“逃げ”と呼ぶ必要はありません。むしろ、感情をうまく整える技術とも言えるでしょう。
たとえば──
鞄の中にいつも同じ香りのハンドクリームを入れておく
お気に入りのマグカップでコーヒーを飲む
手帳を開くと、安心する言葉が書いてあるページがある
緊張するときは、決まって耳を軽くさわる
こうした「マイルール」や「儀式」は、**心を落ち着ける“予備動作”になります。
ポイントは、「無理なく、いつでもできる」**ということ。
それは、大げさでなくてもいいし、他人に見せるものでもありません。
■ 習慣は“見えない準備運動”
心が疲れているときほど、「何もしないと余計に不安になる」ことがあります。
けれど何かを“始める”には、エネルギーが要る。
そんなときこそ、“自動で始まる”習慣があるかどうかが大きな鍵になります。
たとえば:
朝起きたら白湯を飲む
夜は必ず照明を1段階落として過ごす
週末は朝にベランダで空を見上げる
こうした習慣は、まるで**“心の準備運動”**のようなものです。
意識せずとも、自分を整える方向にゆっくり導いてくれる。
習慣とは、日々の中に仕込んでおく「未来の自分へのやさしさ」なのかもしれません。
■ 不安のトリガーと、その対処パターンを知る
不安を感じやすい瞬間というのは、よくよく思い返してみると、いつも似たような場面で起きているものです。
たとえば、朝の外出前。ドアを開ける前の数分間に、理由のない不安がふっとよぎることはありませんか?
そんなとき、玄関で深呼吸を3回してから出る、好きな香水をひと吹きする──それだけで気持ちがひとつ切り替わります。
また、夜になると気分が沈みやすいという人もいます。そんなときは、明かりを少し落として、静かな音楽を流したり、お腹に手をあてて深く呼吸してみると、少し落ち着けるかもしれません。
SNSを見て落ち込んだときは、思いきってスマホを閉じて、窓を開けて空気を入れ替えてみる。
仕事帰りにふと孤独を感じるときは、湯を沸かしてあたたかい飲み物をゆっくり飲む──
どれもささやかなことですが、**「いつも不安を感じる場面に、自分なりの対処を添えておく」**だけで、ずいぶんと気分が変わってくるものです。
■ 習慣は「性格」ではなく「設計」
「私はもともと不安になりやすい性格だから」と思っていませんか?
確かに、人にはそれぞれ気質があります。
でも、日々の習慣や環境がその“感じやすさ”を増幅させている場合も少なくありません。
たとえば、SNSを見る時間が長い人は、比較による焦燥感が強まりやすい。
寝る直前まで明るい画面を見ている人は、睡眠の質が低下し、翌朝の不調につながる。
片づけの習慣がないと、空間の乱れが心のざわつきに影響する──そんなこともあるのです。
つまり、不安になりやすさは「性格のせい」ではなく、「生活設計の影響」も大きい。
自分を責める前に、「整いやすい環境」「崩れにくい習慣」を見直してみることが、第一歩になるかもしれません。
■ 仕組み化してしまえば、ラクになる
心の切り替えは、がんばって意識するものではなく、
“気づいたら切り替わっていた”状態が理想です。
そのためには、「毎日の中に感情の通り道をつくっておくこと」。
これが何よりも効果的です。
朝、好きな音楽が自動で流れる設定
洗面台に「整えメモ」を貼っておく
カレンダーに「自分をねぎらう日」をあらかじめ入れておく
こうした仕組みは、未来の自分を助けてくれます。
“今しんどい自分”を、“過去の自分がそっと支えてくれる”ような感覚です。
心の切り替えは、気合や努力でなんとかなるものではありません。
ほんとうは、もっとやさしくて、もっと静かなもの。
日々の暮らしの中で、「これをするとなんか落ち着く」「これがあると心が軽くなる」──そんな小さな習慣たちが、じつは一番頼れる“スイッチ”なのです。
今日うまくいかなかったとしても大丈夫。
また明日、同じ習慣に戻ればいい。
その繰り返しが、感情との付き合い方を少しずつ育ててくれます。
第4章|“いま”をキャッチするための、リラクゼーションの知恵
── 「今この瞬間にいる」ことで、不安は静かに遠ざかっていく。
■ 不安が生まれる場所は「未来」か「過去」
不安という感情が生まれるのは、たいてい「今」ではありません。
これから起きるかもしれないことを想像して、胸がざわつく。
あるいは、過去の記憶がよみがえって、心が落ち込んでしまう。
つまり不安とは、「未来か過去」に意識が飛んでしまっているときに起こりやすい感情なのです。
その一方で、「いまこの瞬間」に気持ちがしっかりと根をおろしているとき──
たとえば、深く呼吸をしているとき。料理をしているとき。湯船に浸かっているとき。
そうした時間には、不安がふと遠のいていくのを感じることがあります。
これは、リラクゼーションが持つ「今に戻してくれる力」によるものです。
■ マインドフルネスは、特別な技術じゃなくて“回復の感覚”
マインドフルネスと聞くと、なんとなく難しそうに感じてしまうかもしれません。
でも本質はとてもシンプルで、**「今ここに意識を向けること」**に尽きます。
今、椅子に座っている自分。足が床に触れている感覚。空気の温度。呼吸のリズム。
それらに気づくだけで、思考が未来や過去からそっと切り離され、
「この瞬間の自分の感覚」に戻ることができます。
これは、いわば**“今に帰る”行為**。
緊張がほぐれ、安心感がじわりと広がってくる感覚。
それが心と体をつなぎ直す、リラクゼーションの本質なのかもしれません。
■ 呼吸に気づくと「生きてる実感」が戻ってくる
呼吸は、自分の命のリズムです。
けれど、不安を感じているときの呼吸は、とても浅くなっています。
吸う息が短く、吐く息が十分に出せていない。
それはまるで、「今を生きるのがしんどい」と体が訴えているようにも思えます。
そんなとき、ただ静かに、自分の呼吸に気づいてみる。
吸うときの空気の入り方。吐くときにお腹が少しへこむ感覚。
深くしようとしなくていい。ただ、「今、自分が呼吸している」ことに意識を向ける。
その数秒のなかで、**「私は生きてる」**という実感が、ほんの少しだけ戻ってくることがあります。
■ 背中・手・お腹──“からだ”に帰るリラクゼーション
リラクゼーションと聞くと、アロマや音楽、照明といった「外側の演出」を想像しがちです。
けれど本当のリラクゼーションとは、“内側に帰る”感覚です。
特に、不安でざわついたときには、次のような「からだへのアプローチ」が有効です。
背中を感じる
背もたれにしっかりもたれかかり、背中が支えられている感覚を味わう。
この“支えられている感覚”は、精神的な安堵感にもつながります。
手に触れる
手のひら同士を合わせて、ゆっくり擦ってみる。
指を一本一本、丁寧に揉むように触る。
この行為は、神経の興奮を鎮める効果があります。
お腹を温める
不安を感じるとき、みぞおち〜お腹にかけて緊張が走っていることが多いです。
手を当てたり、カイロや湯たんぽで温めたりするだけで、心までふっと緩みます。
“今ここにいる自分のからだ”に意識を戻すこと。
それが、不安にのまれないための、小さな回避術なのです。
■ 「リラックスしなきゃ」と思わなくていい
現代人は、リラックスすることすら「うまくやろう」としてしまいがちです。
でも、リラックスは“がんばるもの”ではありません。
気持ちよく伸びをしてみる
音を立てずにゆっくり歩いてみる
あたたかいお茶を丁寧に注いでみる
これらはすべて、「リラックスしようとしなくても、自然に整っていく」行為です。
どれも、何かを達成しようとする動きではなく、ただ「そこにいる」ための時間。
リラクゼーションは、何かを“消す”ためではなく、ただ“感じている今”に戻るためのもの。
だからこそ、うまくできなくても構いません。
少し心がやわらぐ方向に向けて、意識をそっと寄せてあげるだけで、それはもう十分な「整え」です。
■ 自分にとっての“整いスイッチ”を探す
人によって、「今に戻りやすい感覚」は違います。
ある人にとっては音楽かもしれないし、香りやぬくもりかもしれません。
誰かのやり方を真似してもうまくいかないこともあります。
だからこそ、**自分なりの“整いスイッチ”**を探すことが大切です。
湯船にお湯を張る
ランプを灯す
ベランダに出て風に当たる
お気に入りの服を羽織る
髪をとかす、手を洗う、耳をひっぱる……
どんな方法でも、「これをすると気持ちが戻ってくる気がする」という行為が見つかれば、それはあなたにとっての立派なスイッチです。
■ ゆるやかに切り替わる“時間の魔法”
リラクゼーションとは、「何かを劇的に変える方法」ではありません。
それはむしろ、時間をゆっくりと溶かしていくようなプロセスです。
5分だけ横になる
静かな場所で、数分ぼーっとする
火の揺れを見る
植物の水やりをする
こうした“時間をかけた無目的な行為”が、心の中で絡まっていた感情をほどいてくれることがあります。
切り替えスイッチは、急に押す必要はありません。
少しずつ、ゆっくり、心が戻ってくる方向へ流れていく──
そんなイメージを持つだけでも、不安との距離は変わっていくのです。
私たちは、つい心のことで悩んだとき、考えて、分析して、言葉で理解しようとしてしまいます。
でも、心がざわついているときほど、本当に必要なのは「感じること」かもしれません。
呼吸を感じる。
手のぬくもりを感じる。
背中が支えられていることを感じる。
そして、自分が「ここにいる」ことを実感する。
それだけで、少し不安は静まり、
楽しさや心地よさが、そっと戻ってくる。
リラクゼーションとは、「何かをする」より、「今を取り戻す」こと。
“いま”という瞬間のなかに、あなたの心の居場所はいつもあります。
第5章|“整いすぎない自分”でいる勇気
── 完璧じゃなくていい。揺れても、崩れても、それでも進める強さ。
■ 「ちゃんとしてなきゃ」が、不安を育てる
「ちゃんとしなきゃ」「ちゃんと整えなきゃ」
そう思えば思うほど、心は疲れていきます。
まるで、自分自身に終わりのない試験を課しているようなもの。
たしかに、身の回りを整えたり、心を整えたりすることは大切です。
けれど、その“整えること”が「義務」や「強制」になったとたん、
リラクゼーションはプレッシャーへと変わってしまいます。
不安をなくそうとするあまり、**「不安を感じることそのものが悪いこと」**だと捉えてしまう。
そんなふうに、自分に“完璧さ”を求めてしまうと、ちょっとした心の揺らぎにも傷つきやすくなってしまうのです。
■ 整わなくても、人はちゃんと生きていける
少し部屋が散らかっていたり、予定が崩れていたり、感情の波が収まらなかったり。
そんな日があってもいい。
人は、「整っていない状態」でも、生きていけるようにできているからです。
整っていない=だめな自分
ではなくて、
整っていない=揺れている途中の自分
そう捉えられるようになると、心に少し余白が生まれます。
呼吸がうまくできない日も、笑えない夜も、「そういう時期かもしれない」と認めてあげる。
それだけで、不安は少しやわらいでいきます。
■ 喜びに向かうとき、不安は必ずついてくる
面白いことに、人が「何かを始めよう」とする瞬間ほど、不安は強くなるものです。
新しい仕事を引き受けるとき
誰かに気持ちを伝えようとするとき
好きなことをやってみようとするとき
それらはすべて、**“自分の人生を前に進めようとする行為”**です。
だからこそ、未来の不確かさがチラついて、心が揺れるのは当然のこと。
むしろ、不安があるということは、
「これは自分にとって大事なことなんだ」と心が気づいている証でもあります。
不安を感じたからといって立ち止まる必要はありません。
不安を連れて、それでも一歩踏み出す勇気。
そこに、ほんとうの切り替えスイッチが眠っているのです。
■ 「未完成なまま」進むという生き方
私たちはつい、「準備が整ってから」「自信がついてから」何かを始めようとします。
でも、整いきらないことも、生きていくうえではよくあること。
むしろ、未完成なまま踏み出すことのほうが、よほどリアルです。
気持ちがぐらついたまま、仕事に向かう
自信がなくても、人と会う
不安なまま、新しい挑戦をする
完璧じゃない自分を抱えたまま、それでも日々を重ねていく。
そのあり方こそが、実はとても健やかで、たくましい姿なのではないでしょうか。
■ 「整えること」を逃げ場ではなく、居場所に
整えることが好きな人もいるでしょう。
空間を整える。気持ちを整える。時間を整える。
それ自体は素晴らしいことです。
けれど、それが“現実から目をそらすため”になってしまったとき、
整える行為が「逃避」になってしまう場合があります。
だからこそ、「整えること」を**“逃げ場”ではなく“居場所”**として捉えることが大切です。
たとえば──
不安なときに掃除をするのは、現実逃避ではなく、心を整えるため
香りや音で環境を整えるのは、自分が安心して過ごすための土台づくり
ノートに気持ちを書くのは、自分自身の声に耳を傾ける時間
整えるという行為が、「今の自分を大切にするため」であれば、
それは立派なリラクゼーションであり、感情ケアでもあります。
■ 「不安があるまま進んでもいい」と思える強さ
大人になるにつれて、私たちは“安心感”を求めるようになります。
でも、ほんとうは、不安のない人生なんて存在しないのかもしれません。
どんなに穏やかそうに見える人にも、
どんなに落ち着いている人にも、
見えないところでの不安や揺らぎはあるはずです。
だからこそ、大切なのは、
「不安をゼロにすること」ではなく、「不安があっても動ける自分」を育てること。
完全に整っていなくても、自分の足で立てる。
ブレているけれど、それでも前に進んでいる。
そのあり方こそが、強さであり、しなやかさであり、自分らしさでもあるのです。
■ 自分を「整えようとしすぎない日」を持ってもいい
何もしたくない日。
人と話したくない日。
ぼーっとしていたい日。
頑張れない日。
そんな日があることを、自分に許してあげてもいいのではないでしょうか。
むしろ、「今日は整えなくていい」と決めることは、
“整えることにとらわれすぎた心”を解放するチャンスになるかもしれません。
気持ちがぐちゃぐちゃでも、疲れていても、何もできなくても。
それでも、ちゃんと今日を生きている。
それだけで、十分。
私たちは、心を整えようとするあまり、
「整っていない自分」にダメ出しをしてしまうことがあります。
でも、本当は──
整っていなくても、大丈夫。
不安を感じていても、それでいい。
揺れている時間にも、ちゃんと意味がある。
整いすぎない自分を、認める。
そして、そのままの自分で、そっと前を向く。
それは、弱さではなく、
とても静かで、あたたかい「強さ」かもしれません。
第6章|切り替えスイッチは、感情の「居心地」をつくる
── 不安をなくすのではなく、不安と一緒にいられる自分になる。
■ 「不安を感じないこと」を目指さなくていい
どうしても私たちは、「不安を感じたくない」「できれば不安をゼロにしたい」と思ってしまいます。
けれど実際には、不安は人生から消すことができない感情です。
むしろ、不安があるからこそ慎重になれたり、大切なことに気づけたりする。
つまり、不安は“敵”ではなく、“注意を促してくれるサイン”とも言えるのです。
だから大切なのは、不安を「消す」ことではなく、**「不安があっても心地よくいられる自分であること」**なのではないでしょうか。
■ 感情には「居場所」が必要
不安も、悲しみも、焦りも──
どんな感情にも、「居場所」があると、それだけで落ち着いてくることがあります。
たとえば、こんなふうに考えてみてください。
「いまの自分は不安を感じてる。それはそれでいい」
「ちゃんと居場所を与えてあげよう。むりやり閉じ込めずに、横にいてもらおう」
そんなふうに受け入れることで、感情は少しずつ変化していきます。
居心地の悪い場所では、どんな感情も暴れだします。
逆に、「ここにいてもいいよ」と言われたら、不安もどこかおとなしくなるのです。
■ 感情の“取り扱い方”は、訓練で育てられる
気持ちの切り替えがうまい人は、感情の扱い方を知っています。
それは特別な才能ではなく、日々の小さな積み重ねで身につけてきた「感情とのつきあい方」。
不安を無理に抑えこまず、まず認識する
「いま○○な気持ちだ」と言葉にしてみる
それをジャッジせず、ただ眺めてみる
この繰り返しが、感情に“とらわれない”状態をつくっていきます。
つまり、「不安を感じながらも、自分でいられる」という状態。
それは、すぐに切り替えられる魔法ではなく、
毎日の感覚の積み重ねで育っていく**“感情の筋力”**のようなものかもしれません。
■ 「楽しさ」は、思い出すことで呼び戻せる
気持ちが沈んでいるとき、不安に包まれているとき。
そんなときに思い出したいのが、「楽しさは、思い出すことでもう一度呼び戻せる」ということ。
好きな場所の写真を見る
笑った日のエピソードを思い出す
誰かにもらった優しい言葉を再読する
これらは、“そのとき感じていた感情の記憶”を呼び起こす作業です。
感情は、意識さえ向ければ、少しずつ戻ってくる。
楽しさや安心感は、ふとした拍子に、また手のひらに戻ってくるのです。
■ 「どんな感情も、一緒にいられる」自分との関係
最終的に私たちが育てたいのは、
「不安でも、怒っていても、泣きたい日でも、自分を嫌わないでいられる関係性」なのかもしれません。
不安を感じている自分を、静かに横に置く
うまく笑えない日も、「今日の自分はこうなんだ」と受け止める
なにもできない日を、責めずに休ませてあげる
こうした態度は、自分との信頼を少しずつ育ててくれます。
そしてそれが、“切り替えスイッチ”の土台になっていくのです。
不安と楽しさは、まるで両隣の部屋に住んでいるようなもの。
どちらか一方だけを選び続けることはできません。
でも、いつでもそのドアを開け直すことは、自分でできる。
自分にとっての“居心地のいい感情”を知り、そこに戻ってくるためのスイッチを育てていく。
その小さな切り替えを、何度もくり返しながら、わたしたちは日々を生きています。
まとめ|スイッチは、いつも自分の手の中にある
── 不安と楽しさは、別々の部屋じゃない。心の中にドアがあるだけ。
不安と楽しさ。
静けさとざわつき。
ゆるやかさと焦り。
それらはまるで真逆のようでいて、実はいつも隣り合わせに存在しています。
どちらか一方だけを選ぶことはできなくても、どちらを「開く」かは、自分で選ぶことができる。
それが「切り替えスイッチ」という感覚です。
スイッチといっても、特別なボタンではありません。
日常のなかにある、小さな選択。
呼吸、手の感覚、背中の重さ、朝のルーティン──
それらを通して、わたしたちは何度でも気持ちを切り替えて生きていけます。
不安な日も、楽しさを感じにくい日も、あります。
でもそのたびに、自分なりの方法で“整え直せる”ことを知っていれば、それだけで少し心は強くなれるのです。
今日という一日にも、静かにスイッチは潜んでいます。
そのドアを、そっと開けてみましょう。
自分のペースで、いつでも、何度でも。
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